めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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犬笛を吹く行為の末路

著名人や与党の政治家が何かをすると細かい部分をあげつらって大騒ぎし、少数が大多数を装っていかにもそれが世論であるかのような雰囲気を作り出し、ターゲットとした相手の足を引っ張ろうとする動きがある。そういった連中がかなり組織的に行っているとみられる言動を見ていると、私にはかつて同じようなことをされてきたことがあり既視感を感じる。

大騒ぎする題材は何でもよく、日常生活の内容だと庶民の生活を知らないだの時節柄不謹慎だの、道具の持ち方や手順が間違っているとか危険だとか、あらゆるものに対してあらゆる言いがかりをつけて、それをもとにしてネットを通じて集団で攻撃を仕掛けるための口実にする。それに対して反論をすると居直りだと言い、内容を削除すると隠蔽と言い、謝罪するとそれでは済まない追及すべき問題だと言い、そこから先も何をしても攻撃につながるようにする。その他の攻撃手法としては、社会的評価を落としたい相手の悪評を流布したり、その相手のせいで被害にあったとするお気持ち表明で犬笛を吹き、それを見て同情した連中による攻撃が相手に向かうように仕向けるというものがある。

ひところだと上手くいった手法なのかもしれないが、今はなかなかそうはいかないようである。一つには、大騒ぎをしすぎて回数が頻繁になり、もはや何をしても言っても悪ということにされる一方で、それに耳を傾けて対応していると何もできなくなってしまう上に、騒いで攻撃をしている対象を見ると些事で騒ぐほどのことではないと、これまで大騒ぎをすると振りかざされる正義感ぶったものに何となく共感したり応じて一緒に騒いでいた人たちが頻繁に起こる大騒ぎが過剰対応に繋がっていることに気付き始めたからである。もう一つは、大騒ぎしている面々が大体毎回同じようなメンバーで、しかも党派性が背後にあることに気付き始めたためである。

最近ではよほど社会通念上問題のあるものでない限りは企業などでもこういった連中の組織的な攻撃に対しては反応も言及もせず無視して相手にしない傾向がある。海外ではキャンセルカルチャーとかポリコレで特定の勢力が気に入らないと攻撃されて社会的な立場を失う動きまであるが、日本はそういった動きに大衆が乗せられない。極端な主張をする者は警戒され避けられるという日本特有の事情も関係しているかもしれない。戦前の軍国主義も戦後の共産主義もカルト宗教も浸透しづらい理由と同じである。まったく無関係の人たちを巻き込んだ場合は一時的にそういった犬笛を吹いて攻撃を仕向ける企みは成功する。ところが、長期的には上手くいかないことが多い。結局妨害行為の対象は攻撃前よりも益々栄える。注目を集めることで改めてどんな人物かが社会的に評価され、周囲から一定の業績を認められていたり慕われていると、その評判が改めて強く社会的に定着する結果になる。

海外のキャンセルカルチャーを仕掛けている連中や呼応している大衆はどのような感じかはわからないが、日本の場合だとそこから攻撃を仕掛ける勢力はおかしな方向へ向かう。ネットで工作しようとしても上手くいかない現実を突きつけられて、同じようなことをしている卑劣な仲間同士でつるんでお互いに自己正当化と自画自賛をしあい、主張が一層極端でおかしな方向に向かう。自己正当化していても少しずつ現実の情報は漏れ伝わってきて、どこかで直視しなければならなくなる。異常な精神を保つために一層刺激の強いおかしな主張をしておけば現実をはねつけて直視しなくて済む。それによって、これまで行ってきた行為が無駄だったということを認めなくて済む。そして、足を引っ張っている当人たちが社会からは不要であるという無駄な人生という事実を認めなくて済む。ある時点で降参して現実を直視し、堅実に生きる道を選べればまだ救いはあるのだが、それが出来ないと周囲のあらゆるものを否定しつくして行き場が無いし、疎通も取れない危険人物になる。閉じた集団の中で現実から乖離した極端で危険な主張を仲間内で醸成していくうちに陰謀論者になったり、そこから思い通りに物事を進めるために目の前の現実をひっくり返すべくテロやヘイトクライムまがいの暴力に及ぶようになる。それから、そういった精神的に問題を抱えた者を味方のふりをして取り込み、自分たちの手を汚さずに主張を実現する手先とする者に利用されかねない。

ここでターゲットが法的措置などの対応を取った場合、犬笛を吹いて攻撃を仕向けている者たちは一斉に逃げて面白がって一緒に攻撃していた者たちだけが残されて矢面に立つことになる。首謀者は決してやり放題できる立場を保証したわけではなかったし、ターゲットもやられ放題なわけがなく反撃だってありうるのである。それは当然であり、面白がってやりたい放題した分だけ応分に報復される。法的な対応のほかに、あらゆる言動に対して言いがかりまがいに攻撃を加えられたり、社会的に生きていけなくなる。それに耐えることができればいいが、そうでなければそれまでである。それは決してひどいことではないし、かわいそうでもない。ターゲットは社会的な憎悪を煽る目的で根拠のない話を拡散され、当事者がそれを反論したり否定する機会を奪われた状態で一方的に風評の流布が行われ、さらにそれを耳に挟んだ無関係の第三者が攻撃に参加して苦痛をこうむったのである。それによって社会的あるいは経済的な損害が生じたのであれば、公的に主張をする立場が保証される法の場に救いを求めて当然である。それに文句を言うのは司法の否定であり、まさにデマの流布で現状をひっくり返そうとするテロリストの言い分であり劣勢になった最後の悪あがきである。

ネットで特定のハッシュタグなどをかかげて著名人や政治家や政党などに否定的な言説を集団で浴びせている動きを見たときは、少数の者が主導してコントロールしていることを自覚し、扇動に乗らないようにしたほうがよい。特に、自分たちが正義だとか正当な理由があると必死で主張しているときは、そもそも根拠の無い内容をごり押ししようとしていて怪しまれて劣勢であるからそう言っていることが多い。陣営の崩壊やターゲットからの対抗措置が近いことも窺われ、「嘘も百万遍言えば真実とはならない」の顕現である。

自ら発信者になるということ

Twitterで何かしら書き込んでいると、少しばかり注目を集めてアクセス数が伸びる書き込みが時々出てくる。

そういった書き込みに、どう見てもその内容と無関係な自己主張を延々と書き込んだり、見当外れな内容や暴言を書き込んでくる者がいる。いわゆる「はてな」にいた低能先生のような連中なのだと思うが、注目を集めている人物を貶すことで自分が上の立場に立った気になって征服欲や支配欲が満たされるし、さしたる考えも持ち合わせていない現状でも手っ取り早く社会の注目を集めることができるのでそうしているのだろう。

自説を書きたければ自分のところで書けばよい。その内容がまともなものなのであればインプレッション数は集まるだろうし、そうでなければ何かしら論として足りない部分があったり独りよがりな内容だったと考えて思考を鍛えていくしかない。自分で発信しない限り、手っ取り早い注目を他人の書き込みで便乗して集めるだけで自分の主張をものにはできない。また、たった数文字数行の文字列にもかかわらず、その内容が読み取れないのであれば、賢ぶってものを言う前に他者とのやり取りを身につけるべきである。

その便乗している内容は便乗するに値する素晴らしい内容だろう。そして、居心地の良い場だろう。だが、その良さは発信している著者の記述や思考ややり取りの成せる技で成立しているのであって、便乗者は永久にその立場にはなれない。その場を乱すことしかしていない邪魔者である。注目を集める書き込みに便乗行為をするときには、そのことが分かったうえで使用すべきである。

私の場合、会話が成立せず主張を押し付けてきたり、デマを拡散する場として使われるのであれば防御措置としてブロックしている。それに文句を言ってはいけない。普通の対人関係でも問題に巻き込まれないように対応する相手を選んだり、ルール違反に対してペナルティを課すことはある。問題を持ち込まれるので関わらないようにする、やり取りできないので対応をやめる、恐らく彼らがネットでターゲットを探して好き放題する前に社会からされた対応だと思うのだ。それを改めず同じことを繰り返すので、ネットからも排除されるに過ぎないのである。

ネット工作というテロ活動に思うこと

共産党はネット工作集団をお抱えで擁しているようだ。少数が多数を装って大騒ぎし、それがあたかも世論であるかのように装って、彼らの主張や実績では絶対にひっくり返すことのできない現状を口先の嘘だけでひっくり返そうとしてくる。実際に選挙などで民意を問うてみると全く逆の結果になるので、大騒ぎしているのは所数で見当はずれな内容ということは冷静に見てみれば分かることである。

そのネット工作集団が時々誤動作したり党中央の制御を超えて動くことがあるようだ。ある議員が鉄道写真を撮影するときに私有地に立ち入って書類送検された際には、ネットでその議員の写真をもっと見たいので写真展をしろという内容が大量に書き込まれたり、ネットニュースではあたかもそこが江ノ電沿線によくみられるような敷地へのアクセス権のために軌道敷を横切る勝手踏切だと主張して勝手踏切問題を何とかすべきだと話をすり替えたり、大量の無意味な書き込みが埋め尽くされた。

私有地立ち入り問題に関しては、議員本人がその行為がまずかったと公式に認めているし、弁護士である当人がその法的手続きを受け入れている。また、現地住民を取材したメディアがその場所は勝手踏切というには無理があるという証言を得ている。そこで新たに写真を掲載する行為は反省していないとも取れるし、写真の内容から他の私有地立ち入りまで発覚していよいよ立場を追い込まれる可能性すらあった。にも関わらず書き込みが大量にされて、その中にはネットの世論をみて検察は書類送検を取り消すべきという司法の否定ともとれるようなものまであった。不当かどうかはその敷地に関与している鉄道事業者や地域住民の合意を参考にすべきであってネットの大騒ぎを相手にすべき問題ではない。

また、大物のコメディアンが司会する番組で共産党の肩を持つような発言をした後でテレビ局から帰ろうとした際に、乗っていた車が不審者にツルハシで襲われる事件が起こった際も、共産党への暴力による弾圧だと大騒ぎする投稿が少数から大量にされた。実際は司会者は冗談でそういったことを言っただけで特定の政党の肩を持つ気は全くなかったし、襲撃した人物も自称芸人志望で弟子入りを相手されなかったと称している経歴不明のニートのようなもので政治的背景は窺えないものだった。そもそもテレビで発言があってからツルハシを準備してテレビ局まで行くには時間が短すぎた。テレビ絡みでは、昼に放送しているワイドショー番組で弁護士をしているコメンテーターが共産党に批判的な主張をした際には、やはり少数が大量の書き込みを行い本人に対する執拗かつ暴力的な脅しや誹謗中傷を行ったほか、共産党は普段は大企業を否定しているのに大企業にスポンサーを降りさせるよう要求を行った。

大騒ぎや組織的な脅迫まがいの行動で現実がひっくり返って自分たちの思い通りになり、そして自分たちは絶対的に正しいので社会全体が納得すると考えているかのようである。そのあたりにいわゆるパヨクとかリベラルの自惚れと思い上がりを感じるとともに、支持されない理由も透けて見える。独りよがりな主張に賛同する少数がその集団の中で他の意見を拒否しながら過ごしているうちに、彼らの主張が良くないと感じている多数のことが目に入らなくなり、社会の実情とかけ離れた方向に向かう。その結果としてごく一部の考えが凝り固まった賛同者以外は支持されなくなるのだが、それは大衆が愚かなせいだという結論になってしまい、それを正すという名目で加害性が一層正当化される。

いわゆる「ツイデモ」などと言われる特定のフレーズを少数が大多数のふりをして大騒ぎし、社会全体の意見のように装うアカウントを見つけたら、通報・ブロックを行い目に入らないようにして彼らの情報工作を拒否すれば、流布されたデマに惑わされることも無くなり、デマを流布している集団によるテロ工作に屈せずに済む。

レッツノートQVを持ち旅行中

2021年にレッツノートQVを購入して1年以上経過しても、旅行などの宿泊を伴う日程の外出でPCを持っていくときはレッツノートRZ4とかWindowsタブレットを持っていく選択ばかりでQVを持っていく機会がなかった。

レッツノートQVはRZや8インチタブレットに比べるとサイズが大きく、重量もRZより若干重い。PCの用途がほとんど無いならばタブレットで十分だし、スライドを投影するなどPCが必要な場合でも迷った末に結局RZを選んだり、寸前まで迷っても結局QVの持ち出しを躊躇してしまった。ただ、いずれはRZは耐用年数になって使えなくなるだろうし、タブレットも2023年にOSのサポート終了で外でWi-Fi接続がしづらくなる。

持ち運べるPCがいつまでも使えない現状を踏まえて、一つの対策としてはEGBOK P803を購入したわけだけれども、それ以外にもレッツノートQVの持ち運びがどんなものか感覚をつかんで携帯用途に耐えるかどうかを検証して、重いとか大きいとかの理由で持ち運びに耐えないならばAmazonで10インチタブレットなり安価なUMPCなりの購入を検討しなければならない。それでQVを持ち運んだ場合のパフォーマンスの検証として、ここ数か月所属先に意識的にレッツノートQVを持っていき使用していた。肩掛けのビジネスカバンに入れて持ち運んでみると案外重くないし大きさもかさばらないことが分かった。そこで、いよいよ連休で泊まりで旅行に行く際に持ちだすことにした。

行きの電車の中ではやりかけのワークへの事前準備としてPDFファイルを開いたり、エディタでブログの本文の下書きを編集したり、合間の時間を有効に使えた。タブレットと違って、すぐに出し入れできるような状況でないと起動できないという不便さはある。PDFを見るとかエディタくらいならばandroidタブレットでEGBOK P803の持ち出し・動作検証にすべきだったかもしれない。

メリットを感じたのは、レッツノートRZに比べてQVはサイズが大きいためにキーボードに窮屈感が無く膝の上で快適にタイピングできたことである。サイズ感はちょうどよいし、このサイズでこの重量はレッツノートくらいしかない。スタンドで立ててペラペラのキーボードを接続するSurfaceタイプのタブレットだとこれは難しい。PDFを閲覧する際にも8インチタブレットや10インチのレッツノートRZに比べて画面の狭苦しさが無くて使いやすかった。ホテルでは無線LANがいまいちのところがあるが、有線LANのコネクタが普通についているのでLANケーブルをアダプタ無しで有線接続してネットワークを使用できた。また、日程中に宿泊予定だったところがあまりにネットの評判が悪く宿泊先を変更したのだが、その代わりの宿泊先の検索にも役立った。ネットの読み込みが早いし、スマホと違って広い画面で検索できるし、そのおかげで簡単に代わりのホテルの予約が取れた。

PCが加わると荷物が重いのは事実だが、そこまでRZを持ち運ぶときと重量差を感じない割に、CPUにもメモリにも余裕がある性能なのでもっと早くから持ち運べばよかったと思うほどに使いやすい。

ブログの更新周期を考える

ここのところ、ブログの更新周期をあれこれ試行錯誤して変えながら更新している。あるときはほぼ月の前半は毎日更新して後半は放置にしたり、1週おきに毎日更新してみたり試している。このブログは検索エンジンから多くの流入があるため、検索エンジンアルゴリズムだか何だか知らないが、検索してヒットしなければアクセスが来ないという分かりやすい作りになっている。

定期的にGoogleと思われるアクセスがあって、それがサイトのコンテンツ内容を拾っているようだが、あまり頻回更新していると内容が雑多になって何のサイトか分かりにくくなるし、特定のトピックばかり掲載しているとスパムっぽくなるし、その時による編集内容の在り方で検索順位が変わるのか全く人が来ない日があったり急に人が多く来訪する日があったりする。

コンスタントに人が来てほしいし、検索エンジンに丁度良いサイトを狙って内容で書きたくもないことを書きたくもないので、当たりどころというかどんな書き方でコンスタントに閲覧があるか探っている。更新間隔を変えてみたが、やはり来ないときは来ないであまり影響はなさそうだ。一方で、以前から更新していた旧い方のブログも同時期にアクセスが減っていて、検索エンジンが閲覧数に左右しているのは間違いなさそうである。そして、そのアルゴリズムのアップデートも公表されているよりも短い間隔なのではないかと思わせるような変動をしている。

まあ、それでもYahooとかBingからも人は来るので別に良い。ポリコレなる形を変えて浸透しようとする共産主義全体主義に迎合するような内容を書く気は無いし、これからも自分が更新できる範囲内で更新を続けていく。

論破病は身を滅ぼす

一部のネット芸人の影響なのだろうが、他者の発言の言葉尻を捕らえて揚げ足取りを片っ端から行い、論破したと満足気に振る舞う行為に及ぶ者がいる。私はこれを「論破病」と呼んでいる。論破病にかかると思考が訂正不能な方向になり、周囲は救い出すことができず距離を置かれ、本人は人間関係や社会的立場を失って破滅することになる。

論破病にかかる人たちは大体決まっている。自己肯定感が低くて、それに繋がるような特技とか他者から評価を得るような魅力がないのだが、見栄っ張りで自己顕示欲は強い者である。そういった者は、物事を論じることのできる立場にいない。論じている当事者たちのように、物事それ自体に対しての知見がそもそも無いし、当事者の視点も無い。背後の歴史的・社会的・科学的データーなどに基づいた話をすることもできない。だから物事の話をしているところに首を突っ込んでも、本来であれば何ら意見を述べることはできない。しかし、そこで目立って虚栄心を満たすために繰り出す技が論破である。相手の話のどうでもよい部分で揚げ足取りをして話の流れを止めたり、結論部分で無くなればよい死ねばよいといった極論をぶち上げる。

似たような連中を私は知っている。私は常々移転前の前身のブログのころから、他者を否定して自分の立場を作ろうとする者を批判してきた。自分にとりえになるようなものが何もないのに、他者からの評価を得て目立ちたいという見栄のために片っ端から目の前の物に否定形をつけて堕とすことで何かしら大層な言説でもって他者より上に立った気分になる行為は、実際は内容が浅くて中身のあることを何も言っていないし、何よりも物事を生み出している者に対して何ら上の立場にはなっていないし、現実の自分の立ち位置に薄々気付くとその取り繕いのためにありとあらゆるものを否定し続けなければ自己を保てなくなる中毒性があり最後は人格が荒廃するという点を指摘してきた。

論破病の者も似たところがある。物事についての話が進んでいるところに割って入って、参加するに値するだけの資質が無いのにその場の主導権をとりたいばかりにどうでもよい内容に対しての揚げ足取りを行い、極端な主張をする。そもそも、話に参加する資質が無いので何を反論しても話は平行線になって会話が成立しないし、そもそも頭が悪いので話の内容がどんどんと飛躍して何の話をしているのかわからないところまで行く。それに対して周囲の者は当然何を言っているのかという雰囲気になり、しまいには話は進行しなくなる。そうすると、話に割って入った当人やその仲間たちは素晴らしい主張で論破してやったとホクホク顔になるのだが、実際は見当外れな内容で話が通じないので相手にしてはいけない危険でおかしい人物という認定をされているのに過ぎない。

かくして、論破病の者はそのコミュニティからは排除されるのだが、彼らは自分たちの主張が絶対的に正しいので追い出されたと他罰的な思考しか持っていないから、なにかしら巨悪に勝ったような気分で他の自己顕示に最適なコミュニティを探して、そこでも同じようなことをして場を荒らすを繰り返す。それに対して、時々は丁寧にデータをあげたり背景を説明して反論するような相手もいるのかもしれないが、そもそもの目的が物事を論じて最適解や解決策を考えていくことではなく、相手を論破して勝った気分になり虚栄心を満たすことなので話は通じずに終わる。

こうして話が通じない奴という共通認識を社会的に広く持たれて、どこでも相手にされなくなる。かといって、あらゆる場で論破ゴッコをしているわけではなく、どうやっても上の立場に立てないような強い相手の前では従順を装ってコソコソと振舞う。その立場は窮屈であるから、鬱憤を晴らすために自己顕示欲が膨大化する。そして、自分の周囲の人間関係を論破病で潰した後は、その辺の人たちに所かまわず言いがかりをつけるようになる。世の中を見渡してみると立場上言い返してこなさそうな接客業や医療従事者などがいるし、最近はネットでSNSを通じて著名人からその辺の一般人まで自分の考えを述べている場にアクセスできる。そうすると、彼らをターゲットにして論破ゴッコを始める。

SNSはスルーしたりブロック、通報・凍結という方法がある。店舗などでも出入り禁止や退去命令に従わない場合は警察対応がある。医療機関は病気を口実にすれば診察拒否されないように一見みえるが、自説の開陳に終始して療養指導に従わない者は診療行為の契約が成立しないので診察拒否や出入り禁止は成立しうる。いずれの場合でも、本人は論破ゴッコで大層なことを言ったつもりになっていても、言説に何らなかみを伴わないから陰では笑われている。これを読んでいる者で論破病の者がいたら、それは自覚しておいた方がいい。そして、満足げに彼らが去った後で、よくネット掲示板にあるキャラクターのやる夫の「キリッ) だっておwww」のアスキーアートのように嘲笑されている。それが現実であるし、そんなものだというのがこのエントリーを見たら理解してもらえるだろう。

タブレットを何に使うか

週末の宿泊を伴う外出に備えて、スマートフォンのスペア用に最近まで使用していたGalaxyを充電し、アプリのアップデートをした。随分起動していなかったのでアップデート対象のアプリが数十個あった。OPPO Reno5Aに比べると何年も前の型で廉価版端末であり、CPUもメモリ搭載量もはるかに劣るはずなのだが、ディスプレイは有機ELのためか表示がきれいで好感が持てる。

カメラや音楽プレーヤーの予備として使えるし、メールやブラウザの設定などももともとメインで使用していた時のままなので、まず音声通話はかかってこないからOPPO Reno5Aは飲み物のボトルで冷やしながらカバンの中でモバイルバッテリーで充電しつつ、こちらを使うというバッテリー温存の用途でまだまだ活躍できそうである。

同時にEGBOK P803もアップデートした。PCは持たずに出歩きたいが、スマートフォンだけでは心細いという需要を満たすというのと、Windowsアップデート対象から外れるWindows8.1タブレットの代わりとしてどの程度使えるかを検証する目的もある。こちらはろくにアプリを入れていないのでアップデート項目はほとんどないし、メモリに常駐しているアプリも無いので空きメモリがかなりある。

このタブレットは外で使うにはイマイチである。夏場の激しい日差しの中で自動的に輝度調整ができない。いちいち見づらい画面で設定を開いて手動で輝度を上げなければならず、最大輝度にしても白っぽくぼんやりした見た目なうえにフィルムに映り込みが激しくて視認性は悪かった。これでフードデリバリー配達員に使わせようとしていたのだから、一応GPSはついているものの運用したら現場から不満が続出してEGBOK P803のせいで日本市場撤退していたのではないかと思う。

日本市場ではスマートフォンに対してタブレットはあまりふるわない。とはいっても海外でも同様かもしれず、艦これブームで日本市場でWindowsタブレットが売れたのは世界的に見て異例だったようだし、世界的にタブレットは売れない傾向かもしれない。そんな中でも、iPadもそうだし中国製品を中心に8インチから12インチくらいまでandroidタブレットのラインナップがあって、Amazonでは最新OS搭載のものがあれこれ売られている。それがどんな需要で何に使われているのか、どうも想像がつかない。EGBOK P803を買った人たちのほとんどは持て余しているのではないかと思う。何に使われているのか分かったら、日本市場でもタブレットは売れるのではないだろうか。

生き続けるレッツノートRZ

意識してレッツノートQVを持ち出すようになり、レッツノートRZを使うことが減って2週間くらい起動していなかった。そこで、久々に電源を入れてWindowsアップデートを導入した。急に持ち出したときにアップデートをしだして動作が遅くなると使いにくいので、スマートフォンの予備機含め使用頻度の低い端末でも定期的にwifiの電波が乗るようにしてアップデートをしている。

レッツノートRZ4の導入は2015年9月なので、そろそろ7年使っていることになる。Windows11アップグレード対象ではないのでWindows10の21H2運用である。SSD搭載のPCだが、最近のアップデート導入は結構時間がかかっていて、HDDで運用するPCだったらアップデート操作だけでディスク使用率が100%のままで何日もかかっていたのではないだろうか。

それでもブログ更新の用途には使えるし、オフィスファイルの表示やファイル容量の小さいものは編集できる。ただ、高画質のbmptiffといった非圧縮の画像ファイルの編集をするには処理が遅く、所属先ではゲーミングノートPCで行っている画像編集をデータだけ持ち帰って自宅でもするようになってから少し何か操作するたびにフリーズを繰り返すようになり、それがレッツノートQVの導入の最大の要因となっている。

画像処理そのものではなくても、画像点数が多いスライドは最近は扱いにくくなってきた。写真の高画質化が進んでいるせいもあるのだろうが、少し編集するたびにフリーズが起こっていた。画像を動かすとか、テキストボックスにコメントを追加するとか、そういった操作でもフリーズして思ったように動いてくれないので、正直レッツノートRZでの編集は億劫になっていた。

PCが陳腐化して時代遅れの性能になったというよりは、PCの使用用途が少しずつ変わってきたのだと思う。シングルコアCPUのThinkPadも購入当初は軽快な動作に思えたが、2013年ごろからブラウザ自体の動作が重いと感じるようになった。レスポンシブデザインの表示がきついというのもあったが、動画サイトを多く利用するようになったことも関係しているように思える。

普段使用しているメイン機に対してサブ機の性能がそれほど良くないと、PCとしての使用よりもアップデートのための起動が増える。さらにメインPCを携帯性の良いものにしてしまうと出番がさらに減る。レッツノートRZは小さいこともあって頻回に持ち運んでおり、自宅用でメインで使用しなくなったここ1年でもそこまで使用頻度は落ちていなかった。大きさや重さでレッツノートQVを持ち運ぶことへの抵抗感が薄れてくると処理力が違うのでどうしてもQVばかり持ち出すようになった。ただ、肩にかかる重みは現実感じているし、多分壊れるまでRZ4を持ち出し続けるのだと思う。