めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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犬笛を吹く行為の末路

著名人や与党の政治家が何かをすると細かい部分をあげつらって大騒ぎし、少数が大多数を装っていかにもそれが世論であるかのような雰囲気を作り出し、ターゲットとした相手の足を引っ張ろうとする動きがある。そういった連中がかなり組織的に行っているとみられる言動を見ていると、私にはかつて同じようなことをされてきたことがあり既視感を感じる。

大騒ぎする題材は何でもよく、日常生活の内容だと庶民の生活を知らないだの時節柄不謹慎だの、道具の持ち方や手順が間違っているとか危険だとか、あらゆるものに対してあらゆる言いがかりをつけて、それをもとにしてネットを通じて集団で攻撃を仕掛けるための口実にする。それに対して反論をすると居直りだと言い、内容を削除すると隠蔽と言い、謝罪するとそれでは済まない追及すべき問題だと言い、そこから先も何をしても攻撃につながるようにする。その他の攻撃手法としては、社会的評価を落としたい相手の悪評を流布したり、その相手のせいで被害にあったとするお気持ち表明で犬笛を吹き、それを見て同情した連中による攻撃が相手に向かうように仕向けるというものがある。

ひところだと上手くいった手法なのかもしれないが、今はなかなかそうはいかないようである。一つには、大騒ぎをしすぎて回数が頻繁になり、もはや何をしても言っても悪ということにされる一方で、それに耳を傾けて対応していると何もできなくなってしまう上に、騒いで攻撃をしている対象を見ると些事で騒ぐほどのことではないと、これまで大騒ぎをすると振りかざされる正義感ぶったものに何となく共感したり応じて一緒に騒いでいた人たちが頻繁に起こる大騒ぎが過剰対応に繋がっていることに気付き始めたからである。もう一つは、大騒ぎしている面々が大体毎回同じようなメンバーで、しかも党派性が背後にあることに気付き始めたためである。

最近ではよほど社会通念上問題のあるものでない限りは企業などでもこういった連中の組織的な攻撃に対しては反応も言及もせず無視して相手にしない傾向がある。海外ではキャンセルカルチャーとかポリコレで特定の勢力が気に入らないと攻撃されて社会的な立場を失う動きまであるが、日本はそういった動きに大衆が乗せられない。極端な主張をする者は警戒され避けられるという日本特有の事情も関係しているかもしれない。戦前の軍国主義も戦後の共産主義もカルト宗教も浸透しづらい理由と同じである。まったく無関係の人たちを巻き込んだ場合は一時的にそういった犬笛を吹いて攻撃を仕向ける企みは成功する。ところが、長期的には上手くいかないことが多い。結局妨害行為の対象は攻撃前よりも益々栄える。注目を集めることで改めてどんな人物かが社会的に評価され、周囲から一定の業績を認められていたり慕われていると、その評判が改めて強く社会的に定着する結果になる。

海外のキャンセルカルチャーを仕掛けている連中や呼応している大衆はどのような感じかはわからないが、日本の場合だとそこから攻撃を仕掛ける勢力はおかしな方向へ向かう。ネットで工作しようとしても上手くいかない現実を突きつけられて、同じようなことをしている卑劣な仲間同士でつるんでお互いに自己正当化と自画自賛をしあい、主張が一層極端でおかしな方向に向かう。自己正当化していても少しずつ現実の情報は漏れ伝わってきて、どこかで直視しなければならなくなる。異常な精神を保つために一層刺激の強いおかしな主張をしておけば現実をはねつけて直視しなくて済む。それによって、これまで行ってきた行為が無駄だったということを認めなくて済む。そして、足を引っ張っている当人たちが社会からは不要であるという無駄な人生という事実を認めなくて済む。ある時点で降参して現実を直視し、堅実に生きる道を選べればまだ救いはあるのだが、それが出来ないと周囲のあらゆるものを否定しつくして行き場が無いし、疎通も取れない危険人物になる。閉じた集団の中で現実から乖離した極端で危険な主張を仲間内で醸成していくうちに陰謀論者になったり、そこから思い通りに物事を進めるために目の前の現実をひっくり返すべくテロやヘイトクライムまがいの暴力に及ぶようになる。それから、そういった精神的に問題を抱えた者を味方のふりをして取り込み、自分たちの手を汚さずに主張を実現する手先とする者に利用されかねない。

ここでターゲットが法的措置などの対応を取った場合、犬笛を吹いて攻撃を仕向けている者たちは一斉に逃げて面白がって一緒に攻撃していた者たちだけが残されて矢面に立つことになる。首謀者は決してやり放題できる立場を保証したわけではなかったし、ターゲットもやられ放題なわけがなく反撃だってありうるのである。それは当然であり、面白がってやりたい放題した分だけ応分に報復される。法的な対応のほかに、あらゆる言動に対して言いがかりまがいに攻撃を加えられたり、社会的に生きていけなくなる。それに耐えることができればいいが、そうでなければそれまでである。それは決してひどいことではないし、かわいそうでもない。ターゲットは社会的な憎悪を煽る目的で根拠のない話を拡散され、当事者がそれを反論したり否定する機会を奪われた状態で一方的に風評の流布が行われ、さらにそれを耳に挟んだ無関係の第三者が攻撃に参加して苦痛をこうむったのである。それによって社会的あるいは経済的な損害が生じたのであれば、公的に主張をする立場が保証される法の場に救いを求めて当然である。それに文句を言うのは司法の否定であり、まさにデマの流布で現状をひっくり返そうとするテロリストの言い分であり劣勢になった最後の悪あがきである。

ネットで特定のハッシュタグなどをかかげて著名人や政治家や政党などに否定的な言説を集団で浴びせている動きを見たときは、少数の者が主導してコントロールしていることを自覚し、扇動に乗らないようにしたほうがよい。特に、自分たちが正義だとか正当な理由があると必死で主張しているときは、そもそも根拠の無い内容をごり押ししようとしていて怪しまれて劣勢であるからそう言っていることが多い。陣営の崩壊やターゲットからの対抗措置が近いことも窺われ、「嘘も百万遍言えば真実とはならない」の顕現である。