めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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身近な相手を大事にしない者は信用できない

身近な相手を大事にしない者は信用できないと常々思う。

博愛や世界平和を説く者が多い。ただ、地に足がついていないことが多い。例えば、行ったことも無い国の紛争に反対して平和を願う一方で基本的な主義主張が暴力的だったり、どこの誰かも分からない社会的弱者への支援を積極的にする一方で、自身の身の回りでは困っている人がいても家族だろうと見て見ぬふりをしたり、非暴力主義を掲げるくせに攻撃的他罰的な態度で周囲とトラブルを抱えていたり、掲げていることと実態がかけ離れている者などがその具体例である。口であれこれ主張して、しかも時には物事を取り仕切るような上の立場のような口ぶりでそう主張するのに、実際は何も行動しないというのもざらである。

自身の家庭環境は、家族のことを放置して子供がネグレクト状態だったり、夫婦間の関係が不良で離婚したり家庭内暴力に及んだりして崩壊状態なのに、よその社会的弱者の家庭の事情にはしきりに介入してあれこれ手出しする活動にのめり込んでいるとか、主張と現実に乖離がある。現実問題として今目の前にいる相手をぞんざいに扱って大切にしていないのに、それで博愛とか人権とかを標榜するのは致命的に欠陥のある慈善である。

一番身近な相手を大事に出来ないのに博愛を説く者を信じてはいけないし、ついて行ってはいけない。彼らについていくと、取り込まれると、いいように利用されて終わりである。利用価値が無くなるとあっさり切り捨てられるし、社会的弱者だろうが彼らの主義主張になびかないと敵扱いされて逆に執拗に攻撃される対象になる。何かしら問題に直面していて、さらにおかしな連中を振り払うという負担が増えて疲弊してしまう。

また、彼らの言う「可哀想な立場」から抜け出そうとする選択肢は与えられない。ずっと社会的弱者でいてくれないと庇護ゴッコやそれで生まれる利権を失うからだ。だから、言いなりになると永久に社会的弱者から抜け出せない。自分の考えを持って、それを主張したり、実現するために動いて、それによって社会の中で活躍する立場を生み出したり、幸せをつかむ。別に大掛かりなことをする必要も無くて、単に自由に生きるというそれだけのことである。ただそれだけのことも一生否定されて、弱い立場のままでピンハネされた保護の枠内に一生囲い込もうとしている。

ただ身近ににいる、それだけの相手のことも思いやれないのに、博愛も世界平和も無い。それが身近な相手を大切にしない者の正体であり、関わってしまうと色々なものを失う。ターゲットにされた者の悲しみをよそに、あるいは庇護ゴッコの刺激が少なくなったので、新たなターゲットを探し回る、そういう連中である。弱者の味方の振りをして実際はそうではなく、何度も裏切っている者を見抜くには、その人物の周辺に目を向けると良い。そこには都合の悪い現実が沢山転がっている。