めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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某掲示板創設者と統一教会問題

某有名な匿名掲示板の創設者が統一教会に対して疑問を呈する書き込みをTwitterにしたことから、宗教弾圧まがいの統一教会叩きをもっと加熱させたい左翼活動家のような連中が大喜びして、その内容を絶賛し拡散した。

件の人物は掲示板の誹謗中傷書き込みに対する賠償命令から逃げ回っていることや、その掲示板は彼らが擁護している社会的マイノリティに対して厳しい意見が書き込まれている中心地であり、云わばヘイトの根源だったはずである。極端な言説でキャンセルカルチャーの標的に真っ先になりそうな人物である。ネットでちやほやされて、言論人として出てくるようになってからも、有識者とのやり取りでは論に中身は無くて相手の発言の揚げ足取りや話題のすり替えをして、小ばかにして勝利宣言するという手法も批判を集めていた。それなのに、そのような来歴に対してはダンマリだった。そして、統一教会問題で有名な左翼人士との対談企画を設定するなどして、論客として厚遇した。ネット上で知名度のある有名人が思慮も無く思いつき程度に反自民党・反統一教会の発言をしたというだけで、そこまで熱狂したのだった。

ところが、その熱狂は長く続かなかった。統一教会発言の数週間後にその人物は沖縄に行き、国が推進している辺野古の基地建設現場で作業員や省庁の公務員に対して暴力的な妨害活動をしている左翼団体が道路に置いている、24時間座り込みの日数をカウントしているとする看板の文言を揶揄する投稿を同じTwitterのアカウントに行った。揶揄とは24時間監視しているはずが人がいないので監視時間は0時間だろうというものであり、それに対して暴力的な妨害活動を支持する連中が団体を擁護する発言と、掲示板の創始者を批判する発言を始めた。

実は、基地建設を暴力で妨害する団体の支持者層は沖縄の人権を主張しながら、中世の宗教弾圧まがいの異常な統一教会への攻撃を支持しているような連中とほぼ層が一致していた。一方で、この掲示板の創始者の日頃の言動を見てきた者は、この異常な持ち上げからの貶めを冷めた目で見ていた。これまでの中身のない主張や揚げ足取りで成り立っている論調を知っていれば、ぶれない「通常運転」の範囲内の発言だからである。毎日1分しか勉強しないで毎日勉強していると主張するようなもので、24時間座り込みしていないので看板の文言がおかしいのは事実である。

実は、他者と良好な関係が築けない者にはこういった言動をとる者が多い。自分に都合の良い発言をしているときは歓喜して厚遇、少しでも意図に沿わなくなると一転して攻撃して、あらゆる面に難癖をつけたり否定して社会的な抹殺すら狙おうとする。こうやって、ヒステリックな厚遇と排除を使い分けて他者をコントロールしようとする。いまTwitterなどで少数が多数派を装ってキャンセルカルチャーを扇動しているのも似たようなものだろう。

なぜか社会運動をする人たちにそういったタイプが多くて、今回の掲示板の創始者の件もそのパターンである。反戦運動のほかにはLGBTとかの団体でもそうなる。相手の属性に対して、違いを認めたり、共に生きたり、多様性を実現していくために活動をしていたはずなのに、肝心のメンバーは全く違いを認められないし、少しの違いすらも排除の根拠にするし、意見が合わない者と共に生きられないし、多様性には不寛容なのである。それで気に入らないと、同じ問題を共有していた仲間ですらも足を引っ張って追い出そうとするし、仲間内は排除されないように自分の主張や信条を押し殺して従うのである。

自分と他人は別の存在である。当たり前である。存在自体が別個で、育ってきた背景も思考も好みも、一切が一致するということはまずない。同一でも何でもないから、言語を介して自己の思考を開示するしかないのである。だから、意見が合わないことは普通にあるし、それをいちいち否定して相手をつぶすようなことをして回っていたら、きりがないししまいには全滅してしまう。それが分かっているから、全員で一糸乱れず統一行動を望むならば多少の差は許容して一致する意見の部分で行動するのである。だから、違いを認めたり、共に生きるだの、多様性を認めるだのを尊重しなければならないのである。ナントカ活動をするための口実ではなく、日常生活に生きるワードである。

ところが、それが出来ないし理解できない者が一定数いる。要するに、自分の意見は他人も賛同して当たり前、同じ考えになって当たり前、という考えを持っている。そのため、物事を押し付けたり、それがかなわないと他罰的攻撃的な態度を取ってくる。それでは、周囲とは良好な関係を築くことができないのだが、その時の相手の言動に合わせて歓喜したり、意に沿わないと発狂して切り捨てるを繰り返すので人間関係の不安定さはあまり露見しない。

マスコミと野党がしきりに反統一教会キャンペーンをしている。統一教会以外にも問題を抱えた団体はあるし、それこそ怪しげな政治団体に熱狂的な親がいる家庭だって同じくらい悲惨だろうが、それは報じないし追及しない自由が行使されて表に出ない。彼らは自民党叩きと統一教会叩きという共通項目はあるが、それ以外は共通しないので立憲民主党共産党の間で意見の食い違いが出始めている。

統一教会など文化不毛の韓国由来で何ら歴史的な裏付けのある伝統も無い金儲け目的のインチキ宗教なわけだが、統一教会という属性だけで排除や差別的な言動が許されるようでは憲法違反であるように思われる。しかし、統一教会叩きをしている活動家たちはそれが理解できないのである。自分の意見を押し付けたらそれが通って当たり前で、自分と同じ考えを周囲が持っていて当たり前だからだ。

だから、憲法に書かれている他者の思想信条の自由や信教の自由も当然尊重できない。その結果として、自民党議員の一部が有権者・支持者として近寄ってきた信者に対して儀礼的な挨拶をしたとか、有権者団体が主催した会合に顔を出したといった事情が理解できないのである。思想背景とかはいちいち詮索のしようがないし、詮索して宗教を理由に支持を拒否すると人権問題になりかねないから、政治家は統一教会が接近しようが何も言えないのである。

そのへんの国民にもっと密接に関係するような問題が他にあるだろうに、ワイドショーで連日統一教会自民党議員のどうでもよい付き合いを捜索するような話ばかり扱っている。どうでもよい情報にマスコミが大衆の注目を集めるような報じ方をしているときは、背後で都合の悪い物事の進行を隠ぺいする意図があると見てよい。統一教会問題はいい加減ネタ切れであるし、野党間でも意見の食い違いで言い争いが始まりつつある。そろそろマスコミが隠ぺいしたかった事情が露見するのではと期待している。