めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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豊橋市の救命救急士の特定医療行為指示懲戒処分問題に思うこと

愛知県の豊橋市で、心肺停止の現場に到着した救命救急士が点滴を入れるのに難渋してその場に居合わせた看護師に点滴を指示した行為が「医療行為」の指示にあたるとして救命救急士の消防職員が懲戒処分を受けた。ちなみに、心肺停止の患者は意識を取り戻したという。

これについてはネットでは処分はおかしいという声があるし、なかには医師資格のある国会議員までが処分を批判している。ただ、救命救急士を擁護している人たちは目の前の現象ばかりとらわれて感情的な大声に流されているように思われる。最近よくネットである、根拠もへったくれもない情緒的な内容で大騒ぎして、それを世論だと主張する人たちと同じ傾向である。

今回は居合わせた看護師が本物だったからよかったが、本当は何の医療資格も有していないのに見栄を張るためとかどさくさに紛れて医療者を自称して心肺蘇生行為(胸部圧迫などは自動車教習所でも履修するが)はおろか、医師しかできないような処置などをする者がいると言われている。救急隊がいながら、どさくさに紛れておかしなことをされた際に搬送する側の責任問題が生じる。

それはそれで問題だが、あくまで制度的な問題である。一番大事なのは、そもそも処置は路上ではなく病院ですべきであるから救急搬送するのである。救命救急士の特定医療行為は病院到着までのつなぎのはずなのに、くだんの救命救急士も擁護している人たちも何か勘違いしていると思われる。

病院に比べれば、その辺の路上は医療スタッフが足りないし、設備も足りない。そこですることは、特定医療行為をやり遂げることではなく、さっさと胸部圧迫して心拍を維持しながら病院に搬送することであるし、それ以上のことはできない。電気ショックや昇圧剤はそこですればいいし、病院だからこそ人も手段も揃っている。だから、早急に搬送すればよく、看護師や救急救命士に認められた特定医療行為は、あくまで病院到着までに患者のコンディションを良好に維持できるようにするための「つなぎ」に過ぎないのである。

設備も医療者も不足する路上で心肺蘇生をやり遂げる必要はないし、できるわけがない。擁護の声を見ていると、どうもその点を忘れているか特定医療行為の趣旨をはき違えていると思われるものが多いのである。よく考えてほしいのだが、路上ですべての医療行為をやり遂げられるのであれば呼ばれたらどこか病院に搬送しなければならない決まりの救急車は派遣する必要なく、初めから近隣の医師をパトカーで連れてくればよい。

豊橋市の救命救急士の特定医療行為懲戒処分問題の背景にあるのは、いわゆる「お役所仕事」である。資格を持っておけば手当てがつくとか、昇任などするときに資格がいるので義務的に講習を受けて資格を取得する。結果として権限を行使できる立場になる。そうすると、本来はそこで技能的なものとか判断などで資質に欠くのに、特定医療行為をする現場に出ることになる。そこで、本来は搬送することが仕事だったし資格取得前はそうしてきたはずなのに、特定医療行為をしなければならないし、最後までしなければならないという義務感で機械的に特定医療行為をこなそうとする。有資格者で上長だったりすると、下はそれに従うしかない。

結果として、迅速に搬送して救命する際に悪化している患者の状態を一過性で持ち直させたり維持して状態を食い止めるための特定医療行為の趣旨や理念が置き去りにされる。沢山救急搬送していれば、路上や救急車内よりも小規模だろうが病院のほうがはるかに人員も設備が充実していることを知っているはずである。それが思考停止して、特定医療行為をすることに拘泥される。

実は、特定医療行為などいいから迅速に搬送すべきという意見は私のオリジナルではない。診療科としての救命救急科のさきがけである大阪大学の救急科が立ち上がったころのメンバーだった方の意見を10年ほど前に聴いたものである。そのころと問題点が何ら変わっていないあたり、そろそろ救命救急士とか特定医療行為の制度を見直すべきではないだろうか。