めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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「親ガチャ」は否定できないが・・・

「親ガチャ」なる用語があるようだ。親は選ぶことができないのに、その親のせいで不遇で過ごし、社会格差を這い上がるための手段もない状況だという。それを否定する人たちがいる一方で、どう見ても残念としか思えないような家庭環境のせいで実際何をしようにも先立つ能力も資金も身体も無いような人達というのがいたり、背後には親の虐待とか精神障害や知的障害の親に振り回されていると思われるような人達もいて、本当に「親ガチャ」というのが無いならばこの社会で虐待で命を落とす子供などいないし、子供の貧困問題なども子供の努力が足りないで一喝すればよい話であるから、現実を見ずにモノを語っている者が多いと感じさせられる。

かといって、「親ガチャ」のハズレを引いたからといって、努力しても一切無駄だから何もしない、という主張は流石にないだろう。親がハズレだとしても、ほかの「あたり」を探したり引き当てるチャンスが全て失われたわけではないからである。親は捨てればいいし、極上ではないにせよ何らかの結果を得るために努力の上積みはしたほうがいいのである。それを、座して死を待つとでも言わんばかりに何もしなければ、本当に今のままで今後も過ごすことになる。それこそ、何もさせないし、結果を否定するのであれば、当の本人が残念な親のコピーそのものになり果てている。

残念な親のいる家庭以外にも、選べないものはある。生まれた時代や地域などである。時代の条件は全員同じである。1日も同じ24時間である。地域は日本なら変な途上国よりはましで、現在の居住地が問題をはらんでいるのであれば親と一緒に捨てて条件のいいところに行けばよい。東京都でも足立区のように低所得者でも暮らせるような場所はあり、場所を移るまでの決断が一番時間がかかって、手を付けるのは案外簡単である。能力も案外、親や地域に軽んじられたり抑圧されているだけで、実際は社会が瞠目するような秘めたものを持っているかもしれない。何もないと思うほうが早計なのである。

だから、親ガチャでハズレだったと文句を言う一方で、それをリセットするべく親以外の条件についても挽回の余地がないか探さないで文句だけ言っているのであれば、それはガチャに外れたという表現は不適切である。そもそもガチャすら回していないのではなかろうか。

「親ガチャ」発言で、否定する勢力のほかに、もう一つムキになっている連中がいる。それは当の残念な親どもである。

親ガチャ発言を感情論で否定し、子供ガチャなる用語まで作って言い返そうとしている。まず、当の子供が望んでいない命を押し付けておいて産んだ恩なるものを着せるのであれば、世間一般並みの親のすることを子供にしてあげるべきだろう。それでおいて、子供のいる家庭では当たり前すぎる産んだということを、如何にも大層な事のように言うのも滑稽であるし、しまいには「子供ガチャ」などといって大層な恩を着せた当の子供の存在を否定しているのだから、確かに残念な親と言われても仕方ないのである。

もういいだろう。親のいない世界でも努力はできる。不幸の元の親など捨てても彼らは困りもしないだろうし、捨てた側も心が痛むことも無いだろう亜kら、別の世界で自分だけ幸せになる道を歩めばよいのである。