独特の嗅覚で強い側を見定めて、そちらに接近して味方する言動を取り、仲間のように振る舞って自分も強くなった気分になる者がいる。ところが、物事は上手くいく時とそうでない時がある。強そうに見えた側が劣勢になるとあっさり裏切って、ほんとうはこっちに味方だったと散々一緒になって小突き回してきた相手にすり寄って、再び仲間のように振舞おうとする者がいる。
こういった場合は大抵お祭り騒ぎと同じで、大騒ぎのお神輿が目の前を通り過ぎていくので浮かれた気分になるものの、何のための祭りなのか、何が祭神なのかもよく分かっていない、要するに物事の蚊帳の外にいる状態であることが多い。だから、すり寄ったどちらの側にも相手にされていない。接近してきても、過去の行状は全て覚えているから相手にされないし、拒絶される。そうすると、なぜか突然被害者ヅラをして、排除した者が周囲から攻撃されるように仕向けようとする。
一緒になって馬乗りになって攻撃に加担しておいて今更味方ヅラもないし、すり寄る先を間違っている。足を引っ張っていた時期に、一緒になってあらゆる物事に言いがかりをつけて否定したり嘲笑おうと必死になっていたのはどこの誰なのか。少なくとも私の仲間ではないし、私に追い込みをかけられていようがかつて仲間していた連中のところに行けばよい話である。
その人物のせいで私の周囲の人間関係がたくさん壊された。変な誤解をされたままで離れていった人達が沢山いた。人が去っていくのも誤解を受けるのも両方辛かった。それでおいて、すり寄ろうとして相手にされないことであれこれ言うのは見当外れである。
ところが、全く関係無いのに私の対応を非難して仲間に入れてあげるべきと口出ししてくる者が出てくる。あろうことか、お互い喧嘩両成敗などと言ってきた。私は一方的にターゲットにされて言いがかりつけられた側で、成敗されることはしていない。意味が分かって言っていることなのか問い質したが、重要な部分の話を逸らしたりとぼけて逃げの姿勢であり、こちらに非がないのに責め立てて利益を得ようとしていると判断して追い返した。そういう、第三の危険人物もあぶり出される。
かくして人間関係の一部が欠ける一方、別の場所で新しい関係が生まれる。無くて済むもの、無いほうがいいものを抱え込むのはもうやめて、楽しくやっていくまでだ。