めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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親しい人を失った話

年度の切り替わりの日に神奈川県内某所へ行った。転居を控えており数年前に県内で開設した地元金融機関の口座を閉鎖するためだった。閉鎖手続き後、数駅離れた乗換駅で降りた。そのまま乗り換えて横浜方面へ出てもよかったが、その駅の近くに古くからあるショッピングセンターへ行った。

そのショッピングセンターの近所で私は幼少時を過ごし、何度か買い物で訪れたところだった。別にその時の用事は買い物ではなく、自分の中で一つの区切りをつけるためだった。いつかこの場に来ないといけないとずっと思っていたし、区切りをつけて何かの形で書き留めた方がよいと思っていた。

まだ幼稚園に上がる前の頃、近所のアパートに越してきた女の子がいた。一人っ子だったと思う。遊び相手がおらず、自然と私と遊んでいた。だがそれは楽しいものでもなく、すぐに嘘をついたり、近所の迷惑になるようなことをしていやだった。あの子は何なのかと私まで責められるようになって、距離を置くようになった。女の子は暫くは近所で一人で過ごしているところを何度か見かけたが、それも間もなく見られなくなった。

その女の子のことも忘れかかったころ、女の子が亡くなったと親から聞かされた。ショッピングセンターの駐車場と道をはさんだ反対側にいた母親を見つけ、道路に飛び出して自動車と接触して死んだのだと。葬儀に行ったことは覚えている。まだこの頃は人が死ぬということの実感などなかった。ただ、いなくなってもう会えないことは何となくわかった。女の子の両親はその後いつの間にかアパートから退去していた。

それ以後、何となくその場に行くのは気が引けたし、親も何となくそれを察していたと思われ別のショッピングセンターでの買い物が主だった。いったん、神奈川県から別の土地に移り、進学や就職でこの近辺に住むことがあっても、場所が近いのはわかっていても何となく立ち寄ることはためらわれて避けていた。

飛び出したのが悪いのだと思うが、何となく私が距離を置いて一人にしたのが悪かったような気がずっとしていた。友人関係も苦手になったし、女性と接するのはもっと苦手になった。また親しい人が突然いなくなるのが怖いし、その時に悔いのないように接するには未熟過ぎた。

事故のことは、ずっと自分の心の中で引っかかっていた事だったが、今回なぜか寄る気になった。人生の節目なんてこれまでも何回もあった訳だが、何十年も経ち当時の記憶も彼方のものになりつつある中で、今後滅多に来ることはないであろう場所にたまたま通りかかり、ずっと引きずっていた後悔の念に区切りをつける最後のチャンスではないかと思ったからだった。

ショッピングセンターはまだ現地にあった。テナント名はニチイからイオンに変わっている。駅前が再開発されて、一層繁栄している区画の一部になっている。30年以上経つと、当時は畑の中にあったのどかな雰囲気だった駐車場も、周囲に店や物流倉庫が立ち並ぶ開けた区画の一部になっていた。

コロナで人はまばらだったが、昔そこで事故があったことも知らないだろう若い買い物客がぽつぽつ見られた。私やあの女の子よりも年下かもしれない。何のことはない日常の時間がそこには流れていて、私一人だけが何十年前のことに物思いにふけっていた。

年月が経って女の子の名前も顔も忘れつつある。コンノさんという苗字だったと思うし、目がぱっちりしていたと思うのだが、それも明確には思い出せなくなっている。肌寒く小雨の降る中でその場に立っている間ずっと、あの女の子がどこからかこちらを見ているような気がしてならなかった。