めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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人を見下す行為の落とし穴

人を見下すような言動をとってはいけないと常々思う。

相手を見下す行為はあくまで主観から行われることであって、実際の相手の社会的評価との間には大きな隔たりがあることが多い。ところが、人を見下す言動に慣れてしまうと、周囲の評価は目に入らなくなり己の主観的な評価が他者とも共通の認識であるように思いこむようになる。

こうして言動が固定化され一層偏ったものになり、相手への現実の評価との乖離が一層進む。ところが、どれだけ見下しても相手は評価され続ける。そうすると相手に肯定的な評価がなされることが理解できず、さらには許されないと考えるようになる。そして、相手の周囲をたえず監視して、少しでも肯定的な評価がなされると狂ったかのように否定するようになる。この時点で周囲からはおかしい人物だと距離を置かれるようになる。

更には、そんな相手に危害を加えても悪くないと正当化できるとまで思うようになり実際に危害を加えるに及ぶ。そうなると社会的制裁の対象となり、社会の敵になるのだが、本人はその理由を理解できていない。そしてさらに憎悪を募らせるを繰り返す。

対等とかフェアという概念がなく、すぐに自分が上で相手は下だとか上下関係にこだわったり、物事の言い訳に自分は悪くないのに悪者にされるオヨヨヨヨ泣き真似と他罰的なことを言う者にその傾向がある。そういった言動をとっているとまともな人は相手にしてくれなくなるので、似たような仲間でつるむようになる。彼らはお互いの偏った主張を同意しあう互助会である。だから、仲間でいるうちに一層おかしな主張が強化される。

自分のすべきことをして相応の成果を得て納得していればよいし、納得いかないならば物事を改善して良い結果につなげて自分の利益にしていけばよいのに、それができずに他にばかり目を向けている。他者を見下すことで自分の立場が上がると見込んでいたり実際そうなっていると思い込んでいたはずが、現実は価値判断の基準を見誤らせてかえって自分の立場を失っていたのである。

おかしな言動をとっている者が目の前で時間経過とともに極端な言動をとるようになりヘイトクライムに手を染めてコテンパンに制裁され、それでもなんでなんで自分は悪くないと言い張りながら退場させられる様子を何度も見てると、言動は習慣化して日頃のふるまいに出てしまうので気を付けなければと思う。