めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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松浦市立青島診療所の騒動にみる地域社会の闇

佐賀県との県境に近い長崎県松浦市の離島の青島にある松浦市立青島診療所という無床診療所で院長をしていた75歳の男性医師が自分が使う薬剤を他人の診療録を用いて処方し保険請求していたほか、医師不在時にも看護師が勝手に処方をしていたなどで不正請求と認定されて診療所が保険医療機関としての指定取り消しになるというニュースがあった。ネットに書かれている意見を見ていると、何割かは診療所の医師に同情的なものが見られる。病気を抱えがちな年齢になるのに離島で自分一人だと自分の病気の時に対応ができないとか、特例的に処方を認めないと今後後継者が見つからないのではないかという意見や、自分しか処方権限のある者がいないのに必要な対応をしたら裏目に出てかわいそうといったものである。

この青島は本土から一日数便のフェリーで20分の距離で、上陸した港には療養型病床の田中病院があり、坂を上って国道沿いに出ると病床を減らして診療所になった押渕医院がある。市内には松浦中央病院や菊池病院もある。他の医師から処方を受けられない絶海の孤島というわけではないのである。青島診療所の診療時間を見ると、土日・月曜日は休診日になっていて、週末を利用して元々の居住地に帰ったり、月曜日は他院への外勤日なのかもしれないが、離島で自分一人で常時拘束されるわけではなく、平日の日中に他から処方を受ける機会が全く無いような特殊事情は無い。そもそも、10割自己負担ならば自家処方は可能であるし、他人のカルテを使って処方をする行為は相手方の健保組合に不要な支出をさせている上に、診療録に虚偽記載していること自体がそもそも問題である。自己処方した向精神薬が何か不明だが、眠剤以外に精神疾患の薬剤だとすると精神に支障をきたしたものが診療をすることについても問題視すべきだろう。「離島医療にありがちな問題」とは関係ない部分が問題視されての保険医登録取り消し・保険医療機関指定取り消しではないかと思われる。

この男性医師は経歴がはっきりしない。年齢的には昭和48年ごろに医師免許を取得しているはずである。それからかなり経って、昭和の終わりごろに横浜郊外の私大付属病院の分院の外科所属で学会発表した記録がある程度で、それ以前の業績が無い。15年ほど前に北九州地区の施設の管理者に名前が出ているので、横浜から九州に移動したようである。この時点で大学の医局とは関係ないところにいる訳だが、開業をしていたわけでは無いようだし、勤務医をしていたにしても上には派遣元の大学医局がいるだろうからそのしがらみで何かしら学会に出たりするだろうが、そういった記録も無い。何十年も医療に従事しているのに何をしてきたのかよく分からないのである。ただ、この種の離島の診療所の医師の年間の給与は1800万円から2500万円程度であるから、それに引き寄せられてやってきたことは想像に難くない。地方創生とか民泊とか島民全員でNPO法人設立とか言ったところで、所詮は「こんな人たち」しか来ないような場所なのである。

ニュースによると青島の現在の人口は176人だという。10年ほど前は250人くらいで7割が高齢者だったはずだから、その高齢者のかなり年配の層が亡くなったのだろう。少子高齢化が進行して村落の機能維持も危ぶまれる消滅状態が視野に入る状態と思われる。漁業主体の産業しかないが、台風で船が流されないように係留するにしても人手がいるし、道路が土砂で埋まって掘り起こすにも土木業者を行政が手配する前に住民が対処しなければ孤立して生活できない。村落維持のために必要な人手が既に賄えないレベルに近づいている。かつて保育園だったところはデイサービス系の養老院になり、簡易郵便局も廃業してしまった。そのため、現金の送金や預貯金は本土に行く必要がある。自分で生活できるならば外部と行き来しないとやっていけないし、介護が必要なら島内で生活するのは困難である。だから医療に関しても島に診療所を置く必要は乏しく、フェリーで20分の本土に受診に行けばよい話である。そもそも、青島診療所はもともと産婆が産院をしていた家の跡地に作られており、今よりも人口の多い時代ですらお産以外の医療は必要とされていなかったのである。

村落の維持が難しい中で介護老人ばかりになる一方、電気や水道のような離島へのインフラの維持にかかるコストを行政に求めるのは限界がある。集団離村して本土に住んで、買い物難民なら店の近くに住めばいいし、医療難民なら病院の前に住めばいいのである。介護状態で天井の模様を終日眺めている状態ならば、どこに住んでも同じである。ところが、件の青島診療所はこれを機に過疎地の在り方を変えるようなことはせず、さっそく別の医師が充当されて診療再開しており、保険医療機関指定取り消し後も十割負担分の中から従来の保険医療の現物給付分を松浦市が負担することで対応し続けるという。

ここに、地域社会の闇がある。へき地医療の場にやってくる訳ありの医療者のほかに、そういった医療者でも何でも動員して体裁を取り繕う地元市町村の闇があるのだ。本土までフェリーで20分の島で、島民のほとんどが漁業で自宅の船で本土まで急行でき、しかも車社会でそこから松浦市内でも伊万里でも佐世保でも福岡でも簡単に行けるような決して不便でもへき地でも無いような地域であり、人口が今後一層減少することが予想されるようなところにわざわざ医師と看護師を動員して診療所を開設し維持する意味合いは低い。それでも診療所を維持するのには地域特有の事情がある。

排他的で陰湿な田舎で周囲とうまくやって生活していくには、地域内の閨閥の中でどれだけ濃い血筋の中にいるかが勝負になる。どこそこの中学校出身だとか、誰の子供だ孫だとか、どのような悪事に手を染めたとか、暴力団と知り合いだとか、一般の社会では避けられるような社会的背景の者のほうが有利になる。大した産業が無く、公共の市役所や病院などは地域内の有力者のつながりの中で情実採用がはびこっているし、農業漁業の利権は家督継承者しか持てない。つまり、その地域内で生活しているのは、彼らの価値観の中で選び抜かれた特権階級の証なのである。

その枠に入ることができない者は馬鹿にされながら地域を去っていく。一部、様々な事情で地域を出られない弱者がいるが、彼らは地域内の利権構造の中で暴力団フロント企業とかでタダ同然の賃金でこき使われて一生搾取され、地域社会が維持されている。その後、地域を去った者が高学歴になったり、はるかに社会的地位を得たりしても、一生馬鹿にされる。せいぜい中学校ごろまでの序列が彼らのすべてだからである。例えば、松浦市だと地域内にいるのはせいぜい鹿町工業や北松農林程度の高卒どまりで外の世界を知らないから偉業を理解できないし、彼らが外の世界に出ていったらあまりにショボすぎて佐世保とか福岡あたりのチンピラからも小突き回されるのはわかっているから、外に出て勝負するようなことはせず地域内で威張る道を選ぶので尚更現実の直視を頑なに拒むのである。

そんな地域で政治家になるには、学歴があっても手腕があっても誰も相手にしてくれない。地域のくだらない上下関係の上位にいて、公私混同ばりに利権を仲間にばらまくようでないと当選できない。その一例が市役所などのコネ採用であるし、選挙で首長が変わるたびにその親族の土木会社が入札で有利になるのもそうであるし、病院政策もその一つである。

本当は地域に医療機関があっても車で他の地域の病院を受診するような地域なのに、その地域の市町村長に医者ぐらい呼んでくる手腕がないと、みっともない奴だ、それくらいもできないと地域住民に馬鹿にされて舐められた挙句、次の選挙で落選してしまう原因になりかねない。それどころか、家族や親族まで軽蔑の対象となって以後何代にもわたって陰湿に差別され続けることになる。それを避けるために、必死で誰も利用しない診療所のために医師確保をしようとする。地域内で差別されるといったって、既に少子高齢化で地域社会の維持すら困難な未来が確定している現状では、差別している連中も断種されて何代も続かないという見方もできるわけだが、彼らはその意識は無い。現状を直視して将来をどうしようか考えて実行する力がないから、今自分だけが得をすることしか考えていない。

こういった地域の診療所や病院には特徴がある。医師だけよそ者である一方、看護師も事務職員も地元住民であり、ほぼ有力者の閨閥のコネ採用である。なぜ医師がよそ者かと言えば、昼夜問わず酷使する目的で呼び寄せるので、地域住民の関係者だとまずいのである。地域の有力者の親族だと、その有力者の恨みを買うようなことを吹っ掛けるために連れてきたので、揉め事になると地元住民が有力者に復讐されてしまうからである。そのため、どうやっても角が立たないようなよそ者を連れてきて酷使して、それがくたびれたら取り換えるという発想なのである。そのため、へき地の診療所では本来は治療や運営者としての医師の権限があるはずなのに、看護師や事務職員のほうが威張っていて医師を軽んじる扱いをする。件の青島診療所でも、看護師が勝手に処方をした行為が指摘されていて、診療所内での医師の地位の序列のありようを推測できる材料である。また、よそ者の医師を必死で探す背景としては、自分たちの身内びいきもある。自分たちの子供たちは東京大阪や福岡あたりに行かせておいて、そこでの生活を壊したくないので無関係なよそ者に手を出して連れて来れば、よそ者の生活基盤は壊れても自分たちの子供や親族は守られるという発想である。

松浦市にしても、日本の食卓の魚需要が高くて漁業が盛んだった時代ならば、子供の教育に相応の負担ができた時代はあったろうし、大学の学費の安い時代、それこそ今回保険医登録取り消しになった医師くらいの世代だったら、どこかの国公立大学の医学部に行かせるくらいの勢いはあったはずである。その子供世代くらいだって、まだそれくらい教育にお金を出せる勢いはあっただろう。それでも、医師不足を叫びながらも島民の中から地域の診療所の業務を担う者は出なかったのである。

人を大切にしないから衰退したのに、まだ姿勢を改めないで誰かのせいにして、これからも同じことを続けるために次の生贄を探しているのである。松浦市立青島診療所の保険医療機関指定取り消しの背景にも閉鎖的で陰湿な地方の発想が見え隠れしている。