めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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まだ騒いでる、徳島県県立高校タブレット故障問題に思うこと

徳島県の県立高校で2021年から使用し始めた中国のChuwi(ツーウェイ)社製のタブレットがバッテリーの膨張や充電後にバッテリーが持たないという不具合が頻発して、問題が報道された後もどんどん不具合のある機材が増えて代替機の充当も進んでいないという。

この問題が報じられたころから、私は徳島県の対応にはかなり批判的な見方をしてきた。情報機器は経年劣化する部品やセキュリティ対応の陳腐化で消耗品のような位置付けで捉えるべきであるし、教育への貢献度が明確でないままで事業が推進されているからである。

冷房も無いような教室で毎日充電して使っていればバッテリー膨張するだろうし、スマートフォンだって2年も使っていればバッテリーが劣化するのは当然である。それを不具合のように大騒ぎするのは見当外れである。また、バッテリーの劣化のほかに性能が陳腐化する。処理する情報内容はさして変わらないものの、扱う動画や画像の高画質化で通信量が増えたり表示にマシンパワーを要するようになって、数年経つと動作が遅いと感じるようになる。タブレットはバッテリーの持続のために消費電力を抑えているので、なおさら処理が遅くなる。さらに、OSのアップデートや部品それ自体のセキュリティ対策が時代遅れになってサポート期間が終了することもある。だから、バッテリーが膨張せず数年使えても、そのときには時代に合わない重い板になっている。教育の名目で数年間使用するにはタブレットは力不足である。

報道では調達業者の四電工の問い合わせに対してChuwiからの回答は無いという。情報機器を駆使して徹底した監視社会を構築しているディストピア未来都市でデジタル先進国の中国からすれば、デジタル未開の地の原住民が見当はずれな何かを言っているくらいの感覚になるだろうし、過酷な使用の末の消耗部品の経年劣化に補償を求められても相手にしないのは当然である。

思い出されるのは1990年代前半頃のPCである。省スペース名目でラップトップPCを使うと性能が低くて使いにくいという指摘が当時はあった。実際、当時のノートPCはディスプレイがモノクロだったり、フロッピーディスクドライブが一つだけだったり、ハードディスクが搭載されていないものが多かった。単に小さい筐体でPCのOSやソフトが動くだけの端末であり、デスクトップPCに比べると劣っている面が多かった。今ではデスクトップPCが液晶画面になったり物理メディアのドライブを省略したりラップトップPCやタブレットのような作りになっているが、徳島県の学校のタブレット端末のようなものに関して言えば、昔のPCの事情と同じく通常のPCに比べれば劣っている面が多い。それを通常のPCばりの内容を課して、置く場所が無いので小型省スペースのPC替わりに使用していると、無理矢理使用していることによる負の面ばかりが浮き彫りになる。

また、タブレット不具合騒動が報じられた当時の徳島県の対応がそうだったし、そしてその後今に至るまで変わらないのが、結局タブレットを導入して教育現場で何をしているのかとか、教育にどのような効果があるのかとか、そもそも本当に教育にタブレットが必要なのかという根本的な話が全く出てこないことである。これは当時からずっと気になっていたことである。県側は意図的とも思えるほどに教育内容の事には一切触れずに、調達した数に対して故障で実際に現場に充当されている数が不足しているという「数が合わない」ことばかりを問題視している。マスコミの報道もそうである。

要するに、教育内容などどうでもよくて、国から補助金が下りるなどの事情があったので地域の業者に利益を与える目的の公共事業としてタブレット導入をしたのである。ところが、タブレットにはよくある経年劣化が進行して、公共事業では重要な帳簿上の整合性が取れていて予算が適正執行されている体裁を保てなくなって、県庁の責任問題になったり中央官庁から問題視されるという危機感から大騒ぎしているのであって、学校教育など公共事業のための方便でありダシに過ぎないのである。だから、現場の生徒の声は全く上がってこないのである。

タブレットが故障して教育ができないなら、その時間で普通の紙の教科書の教育を強化して、内容をもっと理解させてはどうだろうか。卒業までに知っておいて欲しいことが全く行き渡っていないから、ありえないデマに騙されて健康を損なったり特定の土地に差別的な言動を吐いたりするのだから科学リテラシーを身に着けさせるとか、タブレット以外にすべきことなど沢山思いつくはずである。徳島県タブレット問題で浮き彫りになったのは、「あの」中華タブレットが案外2年経過しても使えているという事実と、徳島県庁や徳島県教育委員会は教育現場で本当にすべきことは無視してタブレットに現実逃避しているという事実ではないだろうか。