めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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妄想と現実の区別がつかない者

現実と妄想の区別がつかない者がいる。最初はただの見栄っ張りなのだと思う。見栄っ張りで世間知らずで物事の実情を何も知らないし、情報を判断する上での理解力も乏しいのに、見栄を張って目立ったり周囲からもてはやされたいという考えで地に足のついていないことに手を出す。あるいは嘘を言って取り繕ったり、陰謀論を掲げたりする。

それで大きい物事は実現しないのだが、小さい事は実現したりする。物事の判断に関わる重要な部分に入れてもらえなくても、社交辞令的に相手にしてもらえる程度のことではあるが。そうしているうちに、それが成功体験になって、次の賞賛をせしめるために同じような言動を続ける。そうしているうちに、元から物事の理解力も伴っていないので現実と妄想を混同したままで思考が固定されて、周囲から浮いた言動をとるようになる。

やたら他人の事情を嗅ぎ回って親切ぶって介入し、狭い価値観で凡そ現状にそぐわない事を押し付けた末に周囲から避けられるとか、自らの恵まれない境遇は社会のせいによる不遇だと主張して社会変革を掲げるのだが、その内容は当人に都合が良く物事が進むような内容だったり、有名人や有力者の名前を出して知り合いでコネがあるから自分も優遇しろと求めたり、おおよそショボい当人からすれば身の丈に合わない言動を繰り返して避けられている例は少なくないことだろう。境遇が悪いのではなく自ら手を動かして努力していないだけだったり、知り合いの有名人は人を介して少し会った程度で親しい仲とは言えない程度のつながりだったり、少し調べると嘘が次々分かってくる。

彼らの言動は虚実の区別がつかない。5W1H、いつの話かとか、どこの誰の話かとか、どうやってそうするのかとか、なぜそう言えるのかとか、虚実を見分けるうえで重要な要素の一つが欠損していて、いつのどこの誰の何の話をなぜしているのかが曖昧な内容になっている。様々な聞きかじった情報とか都合の良い部分だけの切り取り再構成で妄想と現実を混同しているうちにそうなるわけだが、話の詳細を確認するためにあれこれと質問してもきちんとした回答はまず得られない。回答に詰まって何も答えられないか、回答を逃げたり、話の内容をそらしたりする。特に、理解力が乏しい者の場合は賢いふりをしようとして相手の話のオウム返しをしたりして、対応しているといら立つし、話の内容がどんどん逸れていって何の話をしているのか分からなくなる。

また、大したポジションでもないのに当人が大層な立場でもあり得ないような話をする。有名人と知り合いでコネで物事がかなうみたいなコンプライアンス違反になりそうな話は典型例だし、さして人付き合いがあるようにも見えないのに「みんな」がそう言っていると多数の意見を聴取したかのような言動をとったり、彼らの気に入る気に入らないの差配で妄想通りに事が運んだり、意思に反するものに罰がいくと言ってみたり、自分本位の身勝手な要求に周囲が便宜を図って当然という発想が言動から垣間見える。

そのような言動に接した時は距離を置くようにしている。自分の判断や物事の決定に関わるような場所に彼らが入ってこないように情報遮断をしたり、関わらないようにする。ただ、それでも彼らの言動は変わらない。

本音では皆距離を置いているのだと思う。どうせ、中身や行動が伴わなければ誰も相手にせず、虚構の裏側の弱い部分しか見てくれないし、それで判断される。それが現実である。見栄を張るのは勝手だが、それを実現するために本当にするために動いたり努力研鑽して一つでも本当にしようとしているか、そういった姿勢は見られていて、それが無いと見限られる。だが、社交辞令的に適当にから返事する、それでも見栄っ張りは主張が受け入れられたと思ってしまい成功体験になるし、そのような場に逃げ込めば今後も嘘を暴かれずに見栄を張り続けられるので、結局現実を突きつけられて本当のことを思い知って行動を変えるまでには行かないのである。