めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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無い物は無い

無い物をあるある言って人を連れまわす。カルトの終末思想や偏向政治団体の福祉・雇用政策への絵に描いた餅的発想はその実例だ。
過去何回も世界滅亡を唱える宗教が出現し、その度に信者は仕事や学業を断念し家財を処分して宗教にお布施したが、その後どうなったかは言わずもがなだ。数年前の派遣村も然りで彼らは散々主催者連中の労組活動に連れまわされた挙句に極端な主張の先鋒となって逆に雇用から遠ざかってしまった者がいた。
最近は反原発でも似たような連中が湧いている。東電や社員は全ての憎悪をぶつけられても当然、無償で働けという人権や労働環境無視の主張や、原子力に変わるクリーンエネルギーがそのうちできる(それが何か、いつ出来るのかは不明)という代替案を妄想に依拠している主張、製造コストとメンテナンスだけで骨の折れそうな大規模なソーラー発電を推進する主張、この一年で色々な奇怪な主張が湧いて来たのを覚えているだろう。
国が悪い、企業が悪い、社会が悪い、自分たちの主張に従わない奴らは全部悪い、敵だ、自分たちの言うことに服従していれば見返りがある、そんな主張で人々をたぶらかし、散々連れまわして手駒として利用するだけ利用する。彼らの背後にはそういった思惑の連中が控えていて、存分に利益を吸い取っていい思いをしている。
怪しい連中に騙されないためには、この世には免罪符的なものは無いと自覚することだ。
免罪符とは何とも漠然とした表現であるが、すなわち面倒な問題が目前にあって、本来はそれは様々な手順を一つ一つ解決していくことで目指すべき目標を達成しなければならないところを、何かしら特定の発想に頼ることによってそれらに目を向けることは帳消しとなり一気に解決する手法のこと。
一見すると、そのような画期的な問題解決法はこの世に沢山あるように見えるが、大抵華やかに見えるそれらの手法もいくつもの面倒な問題解決の積み上げで確立されている。その一方で免罪符的なものは単なる妄想であり、それが上手くいくという確信もまた妄想である。そして、面倒な問題が発生した時に妄想はたやすく瓦解する性質がある。
もちろん主張をする側はそのことをよくわかっていて、理想を唱えはするが実行はしない。他の批判はするが、自分の主張を具体的行動で示すことはできない。そんなことをしたらたちまち破たんするからだ。
妄想をしている限りは、実体のしょぼさをごまかすことができる。万能になったつもりになれる。そして、そのうち自分たちの主張する利権を手に入れられると思っている。だから、いったん連れまわされた連中は容易にはその妄想を捨てようとはしないだろう。
無い物は無い、そう認めた時こそ実は色々なものを手にし始めるきっかけになるだろう。