めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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キレる老人の不当要求

事あるごとに「みんな」というワードを持ち出す者がいる。自分が利得を得るために他者に要求をつきつけるのだが、それによって利己的な主張をしていると周囲から思われたくないので、「みんなのため」に主張しているという体裁をとり、要求を相手がのんだら多数の行列の中にしれっと並んで便乗して利得を受け取ろうとする。そのために使う口実が「みんな」である。本当は皆のためでもなんでもなく自己への利益誘導だ。

こういった連中は、「みんな」とは誰のことかというごく簡単で答えられて当然の質問に答えることができない。そんな人物は妄想の世界にしか存在していないからだ。常識のある大人なら、この段階で妄想から覚めて「みんな」などいないと正気に戻るのだが、彼らはそれができない。おかしな要求でも、「みんな」という数を背景にすれば押し切って主張を通せると思っているし、妄想を通り越して「みんな」が存在しており、自分の味方をしていると信じ切っているのだろう。まるでインチキ宗教家が教義を唱えて弟子に囲まれているうちに本当に超能力があると信じ込んでしまうように。

要求が受け入れられないと、彼らは全身から粘着剤でも出ているのではないかと思いたくなる程に主張に固執する。そして、時には昨今話題の「キレる老人」のように必死で相手に毒づきながら、要求を通そうとする。そうして傍から見れば主張が利己的にしか見えなくなるのに、自分の利得のためではなくみんなのためだと必死で言い訳をする。

それなのに、連中は周囲の目を異様に気にする。要求がどう見ても一部の者にしか利益になりそうにない内容なのに、利己的な理由で求めているのではなく、みんなのためだと言い張る。だんだん仔細をついていくと主張にボロが次々と出てくるのに、それでも「みんなのため」と言い続ける。利己的な発想の塊だからこそ特定の要求に固執しているのに、それでも異様に周囲の目を気にして自分が利己的に思われないようにと必死で取り繕おうとする。

こうした主張をするのは、概ね団塊世代よりは少し上の世代に多い。ネットでは団塊世代は不評であるが、むしろ団塊世代は欲望の表出がハッキリしているともいえる。なぞかけ問答で答えを察して自分を優遇しろと闇にアピールして、なぞかけへのお察しがされず、主張が聞き入れられないと暴走しだす傾向は欲望丸出しの団塊世代では珍しい。

今後、この団塊より上の世代のお察し暴走は激化すると思われる。彼らの多くは社会の主流の立場からは外れており、生産活動には関わらない。当然、他に与える立場から受け取る立場のウエイトが大きくなる。また、加齢に伴って脳の機能が低下してくる。「みんな」を持ち出す行為は丁度子供が悪事を咎められたときに、皆もやっていると言い訳をして追及をそらそうとする手口そのものであり、脳の機能が低下することによって精神性も幼児退行するのである。

こうすると、特定の要求のために何時間も固執し、実現しないと暴走という事態が全国各所で頻発するとみられる。日本のサービス業は行き過ぎた要求をする客に対して甘い傾向がある。そして、老人は暇であるし脳の機能が低下してくると、相手がモノを売るために仕事をしており、不当要求をしている間にも給与が発生しており店舗に損害を与えているという認識ができなくなり、延々と店頭で不当要求を繰り返し一般の客の購入の邪魔をするようになる。かくしてブラック企業やサービス業の劣悪な労働環境が増長される。

今後、行き過ぎた要求をする者に対して厳しい対応をとることを社会的に当然と見る風潮が普及するのが望ましい。幸い、団塊より上の世代はあと15年もすれば大半が死滅する。そして、社会的な力関係でもそれより下の世代がより主導権を持つようになる。お察し要求で暴走する老人が願望が実現せずにいら立った末に憤死するまで徹底抗戦しても、まともな一般人は何ら困らない。不祥事を起こしたら年金や医療を減らしていって自然淘汰させるシステムでもいいんじゃないの。