めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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賢いのと賢ぶるのは違う

ある人物に拘束されて延々と一方的に話を聞かされた。その相手の話が全く理解できなかった。唐突に話の方向性が次々代わり、その話の途中でなぜその話題が入ってくるのかと話についていけず、段々と何についてを話しているのかすらも怪しくなって混乱した。私の要領が悪いのか、はたまた脳の障害や病気にでもなったのかと思って、念のために収録しておいた録音を他の人に聞いてもらった。聞いた人も、最初は普通に聞き流していたのだが、次第に話が進むにつれて混乱が表情に出ていた。結局、その人も意味不明だと判定した。誰が聞いても理解できない内容で合っていたらしい。

何回か録音を聞きなおしてみて考えた。理解できない原因を考えていたのである。そして、話者が必死で自分は何でも知っているアピール、自分は賢いアピールをしたいがために、新聞やテレビで聞きかじったような根拠すら不明の内容や知識を片っ端から列挙していたから、話の方向が意味不明な方面に向かったのではないかという結論に至った。

何も考えていない者に対してだったら、この種の列挙の物量戦は有効である。せいぜい、よく知ってるねレベルで終了である。だが、話の内容を精査する必要のある側にその手法を取ることは逆効果であるように思える。番組の録画再生のパッチワークと大差ない相互に内容のつながりを欠いた話をしたところで、相手は意味不明という判定しか下さないだろう。

賢いのと賢ぶるのは質的に違う。

専門用語を列挙する割に、単に覚えたての言葉を披露したいだけなのではないかと思いたくなるほどに浅い内容の話をする者がいる。その一方で、つい話を聞き入ってしまう者がいる。そのような者の話の内容は、必ずしも整った内容ではない。語彙も足りなかったり、拙い面がある。しかし、用語の内容を自分の言葉で表現しつつ、それについて考えることを述べているように思える。そのような話に接すると、表面的な知識の羅列では聞けないような自分として問題をどう考えているかという意見にありつけそうで、ついつい聞き入ってしまう。そして、聞くに値する有意義な内容が多い。

頭がよさそうなのではなく、現実に頭が良いのだろう。知識をひけらかさないで、自分の言葉で言い換えて自分で考えたかのように小出しにする。そんな話法なのだと思う。それが、あたかもその人がクリエイティブに見えてしまうだけなのだと思う。ある種の自己演出に手玉に取られているのだと思う。でも、知識の録画放送のような列挙よりは好感が持てる。

そして、また疲れる相手のつまらない話と対決する時が迫っている。