めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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共生社会の強制社会に反対

いわゆるニューカマーの中国人や韓国人に多い傾向であるが、自分の国が貧しいことを嫌ったり、独裁体制を嫌ったり、儒教的な封建的な社会制度や風習が生み出す社会の息苦しさや自由の無さを嫌って来日して来る者がいる。

ところが来日してから逆のことをし出す。在日同胞のような似たような連中の形成するコミュニティの中でつるみ、妙な仲間意識で連帯する。あれだけ嫌っていた筈の中国共産党や、それが実現している社会体制を賛美する。自分たちの文化が日本の文化よりも優れていると、悪態でもつくかのように必死で主張したり、日本人に対して日本文化をこき下ろして悦に入る。こういった言動をとるようになる。

時には政治工作でもするかのように(工作それ自体なのかもしれないが)、嫌って来日したはずの故郷の体制への賛美を日本人に求めることもある。

そして、あれだけ散々嫌っていた故郷の息苦しくて抜け出たくなる社会体制を、それから自由な他国に移植でもするかのように作り上げて、その中で暮らして再度苦しい思いをしている。たちが悪いと、その暮らしにくさを日本のせいにしたりする。

同胞でつるむだけあって、この種の連中と接したことがある人たちならば、多数こんなのがいるということに同意してもらえると思う。

なぜか彼らは移り住んだ先で共に暮らそうとはせず、嫌っていた故郷のほうばかりを見ている。中国人の多く住む郊外の団地を観察していると、通常の衛星放送とは違う方向にたくさんのパラボラアンテナが向いている。これらは中国の放送を受信するためのアンテナである。彼らは日本の情報は欲していない。中国の情報ばかり得ようとしている。

それは日本語が分からないからだという指摘もある。確かに、そんな生活をしている者ほど、いつまで経っても日本語ができない。日本に来日して数十年経っても一向に日本語ができないとすれば、それは滞在先の国を見下して言語を習得しようとしていないか、日本人と接する機会がなぜか無い生活を送ってきたからに他ならない。彼らは日本にいながら日本語を必要としない生活を確立しているのである。

日本は中国共産党の監視弾圧社会ではない。人とのつながりは日本人と持ってもよい。故郷の社会体制や習慣が嫌ならば、現地で新しい生き方を始めればよい。そのことで悪く言われても、手を出す行為は日本のルールが許さないのだから気にしなくてよい。日本はコネ重視でもないし、実力で社長になろうが勝手な社会だ。人とのつながりだって新規参入するのはゆるい。だから、人間の生存にかかわる根本的な話、故郷の社会習慣を移植しなくても死なない。

左翼は日本は共生社会になるべきなのだという。その言葉を横目に、共生する気がまるで無い連中が続々流入している。日本人が日本の文化習慣を捨てて、他国の息苦しい社会体制を移植させて一緒にそのなかで苦しめばよいのだろうか。無自覚に自文化の負の部分まで移植してくる彼らに、今後もこの国で故郷の負の部分の陰におびえて苦しみ続けろと言いたいのだろうか。

共生を強制しなくてよい。共生社会の強制社会には反対だ。