めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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日本右傾化論は空虚だと思う

「日本の右傾化で戦前が近づいている」という者がいる。

まず、右傾化という言い方には疑問がある。

世間の大抵の人たちは保守的であり、極論や変化を好まない。だから長期にわたって自民党政権であるし、政権交代した民主党も一部の保守的な議員のネームバリューで政権交代を実現したのであって、決して市民運動上がりの極論をぶち上げる活動家議員のおかげではないだろう。在特会だって右翼の急先鋒のように言われているが、どう保守なのか主義主張がいまひとつ見えてこないし、大して支持もされていない。

いつの時代も保守的なほうが支持されるのであって、それに反対する立場の者の色眼鏡で通して世間を見て右傾化に見えたところで、現実の社会はさして右傾化していないのである。キチガイから見れば、自分以外の正常なものは全員キチガイに見えるのと同じ理屈である。

また、戦前という言い方もいかがなものかと思う。

経時的な数直線の上で年号を並べていって、ある時点で戦争が起こるとすると、その時点以前が「戦前」の範疇になるのは分かり切った話だ。だが、その戦争勃発の時点以前にも過去に戦争が起こっていたのであれば、その戦前の時期は同時に「戦後」でもある。日本だって、1930年あたりは日華事変の戦前であり、日露戦争の戦後だったのである。そして、日清戦争の戦前にあたる時代は平和が続いた江戸時代だった。

左翼の語る戦前は暗い時代だったという。だが、当時の日本は技術は現在より劣っていても消費社会であり、現在も売られているナショナルブランドや老舗の大量生産品が世に出だした時期だった。左翼はそのような明るい社会の暴力による破壊を欲して逮捕投獄されて、灰色の獄中の壁を眺めてそれが社会の姿だと思っていたのに過ぎない。いつの時代も市民は市民なりの生活水準で幸せに暮らしていたと言われてしまえばそれまでだ。

正直、戦前という言葉にマイナスイメージをまとわせること、戦前・戦後という言葉で時代を切り分ける行為には限界がある。

だがそれでも、「戦前」という言葉を国全体が戦争に向かう準備段階の時代、「戦後」を戦争のない平和な時代だと定義したとする。その言葉の定義に合わせると、現在の社会で「戦後」と呼ばれる時代は一体何年にわたったのだろうか。実はそれほど長く「戦後」は続いていないのではないだろうか。まさか、1945年から現在まで平和な戦後が続いたとは思わないだろう。

現に、戦後すぐに朝鮮戦争という実戦に後方支援していた時代もあった。周辺国の対立や緊張状態の影響は過去何回も及んできた。単に戦闘状態が無かったからと言って、本当に1945年から現在に至る時代が平和だったとは言い切れないし、その意味では「戦後」は比較的早く終結して、それ以降ずっと「戦前」が続いていたとも言える。

それゆえ、右傾化だの戦前と同じだのと言われても、意味のない言葉をひたすら連呼して世間の注目を集め、それに深い意味があるかのように大衆を惑わせる宣伝活動のようにしか見えない。曖昧なことを言っておいて、事件が起こると関連づけて予言的中と称するインチキ占い師の言動と大差ないのではなかろうか。