めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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共生社会を強制しないで

最近在特会という団体が活躍して世間の注目を浴びている。また、在特会を批判したり攻撃している団体の際立った特異性にも警戒の目が集まっている。
在特会が活動のよりどころとして主張している「在日特権」なるものは実在するのかは分からない。だが、実際に彼らが享受している特権は実在する。
根無し草には、よそ者には、その土地の物よりも容易に他の土地に行けるという特権は実際ある。国をまたいでの移住という行為は容易ではない。言語もそうだが、定住資金や就労受け入れ先などの経済的なリスクもある。だから、たいていの人はそれを実行しない。少なくとも日本に移住した朝鮮人はそのハードルは低い。だから、日本が排外的で嫌なら他の「そうでない」国に、日本に入国してきたときと同じように行けばいいだけの話である。
世界中回って自分たちに都合のよい国を見つければいいだけの話で、日本居住に固執する理由もメリットもよく分からない。どれだけ差別されようが、社会から排除されようが救いがある。それは、この世のすべてから拒まれているわけではないという事だ。だから、現状が嫌ならば手間をいとわず自分の生存権や存在が認められる所を探して、そこに落ち着けばよい。それを制約なく自由にできるのが「よそ者」の特権である。
それを在特会問題で追及の目が及ぶと、まるで野良猫が毛を逆立てるように、韓国朝鮮のアイデンティティ固執して他国の文化や習慣を尊重しようとしないのに、居座る国の住民には彼らのアイデンティティを捨てさせてでも共生を強制しようとする。共生社会の強制は、「仲良くする」というよりも恐喝による奪取で成り立つアンフェアな関係だろう。
どれだけ人工的な共生社会なる概念を押し付けたところで、現に彼らが朝鮮のアイデンティティ固執しているように、簡単に民族別の隔たりが解消するわけではない。だから、今のままでいいではないか。在特会の主張を受け入れればいいのである。その代わりに日本人はいろいろな社会への責任を負えばよい。
差別をしたり、排除したり、利権にしがみつく代わりに、それで生じた結果を受け入れ、固執している物への責任を果たす。例えば、地方の衰退は排他的に自分たちの利権に固執して人や資金を引き付ける魅力を作り出せなかった地域住民の責任であり、その対策をよそ者に頼ってはいけない。日本社会もしかり。自分たちの利権なのだから、ほかの国から介入されない代わりに自分たちで盛り上げていけばよろしい。