めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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リベラル派を考える

社会を変えるが口癖の連中がいる。社会を変えるべき、主張に賛同しない者は「愚かな大衆」とレッテルまで貼って馬鹿にすらしている。

ところが、実際事が動いて社会が変わろうとすると、彼らは変革に反対しだす。変革に反対、現状維持すべき、そして結局は何も変えたがらない。十分な議論が尽くされていないという主張はこういった場合に持ち出される常套句である。

この手の連中はリベラル勢力と言われる陣営に多い。社会が変革されると望みが叶うのだが、彼らの活動の目的が失われる。そこで活動の存続のために弱者を切り捨てる。

弱者がつらい思いをしない社会の実現のために社会変革を主張していたはずが、実際社会が変革されてしまうと子飼いにしてきた弱者が彼らに従わなくなり、活動の意義も無くなってしまうので、弱者には永遠に苦しんでもらうことにして問題の解決を妨害し、解決を先送りさせる。リベラル派の活動に付き従っている限り、挙動不審なヒッピーもどきの何かであり続け、貧困とか差別から一生抜け出せなくなる。

リベラル派はもしかしたらある時代までは社会から一定の需要があったのかもしれない。我が国だと、復興とか先進国入りを目指して国家体制やインフラ整備を急いでいた時代のしわ寄せをモロに受けていた人達からすると、政策の実現を急ぐ国家は敵に見えたろう。だが、その政策が長期的に一定の成果を出して富が還元された社会になり、当時の政治が目指したものの意味が分かってくると、リベラル派はむしろ弱者を利用して暴利を得る悪辣な敵にしか見えてこなくなるし、流石に彼らの困窮を救ってきたのは国家であって無闇に権力批判する行為ではないと冷静に判断するようになるだろう。

リベラル派は権力批判をして自由を標榜する一方で、構成員に異論を許さず特定の思想を強制したり、意見が合わないと敵味方関係無く執拗な攻撃をして差別や排除をして当然と考えたり、中身の無いプロパガンダを喧伝して自己陶酔し一糸乱れぬ統一行動を好んだり、独裁国家の体制への親和性が強い。

実はリベラル派は弱者など関心無いのだと思う。自分たちより弱そうなものを集めて、その中で取り仕切りたいだけなのだ。自分の意思どおりに考え動くコピーを欲しているのだ。そして、意志に沿わない言動が怖いので、独裁や思想統制まがいのことをするのだ。リベラル派は一番関わってはならない人種である。