めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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思想信条に介入する者

別に相手が同性愛だろうが、特定アジアだろうが、カルト宗教入ってようが、構わない。日頃そんなスタンスを取っていると、時折勘違いした輩が出てくる。支持者や仲間扱いして、対立する陣営の悪口を言い出したり、追い落とす為の工作に加担するように誘ってくる。また、私がそれに拒否反応を示すとか、彼らの方針に少しでも合わない部分があると怒りだして、思想改造まがいの押しつけを始めたり、それを拒否すると突然敵扱いされて攻撃対象になる。毎回うんざりする流れである。

意外に思われるかもしれないが、私はいわゆるリベラルではない。むしろ逆だ。それでも相手の思想信条関係ない扱いをするのは、その問題に関心やシンパシーがあるからではなく、むしろ関心が無いからだ。その問題に積極的に関わっていく気がない。世間一般の寛容などそんなものだろう。

逆に問題意識があって関わっていく気があるならば、その逆の思想とは相容れなくなり対立を生むことになる。そんなことをお互いやり合っているならば社会の大半は敵なのであって、いちいち相手の思想信条をチェックして些細な点でも自分達のそれと合わないかどうか照合し、相手を制圧するなり自陣営に取り込むなりし尽くすには途方もない労力を要するので、最終的には陣営の総元締以外は完全に同一の思想を持っていないとして全員死滅する必要があることになってしまう。

そして、そのような対立をわざわざ起こしてまで彼らに関与する必要性を感じないし、対立したくない。そして、肩入れするだけの価値を感じない。それは下手すれば自分自身の生存を否定する行為に加担することになるからだ。親が同性愛ならば現在の自分達は生まれていないはずだろうし、カルト宗教に肩入れするなら自分達が死滅すべき異教徒であることを認めて死滅する必要が生じる。特定のものに寛容であるということは、実はそれ以外の多様性を認めない不寛容なのである。そんな思想信条は到底認めたり加担したくはないし、せいぜい尊重するにしても自分に関与してこない範囲で勝手やっていればという程度になる。

だから、相手の思想信条について殊更に介入して、それを特定の方向に強いるような真似はしないが、相手が逆にそれを強いる目的でこちらの思想信条に介入してきたり、それらに利する為に人間関係を悪用して踏みにじるような行為に及んだときは全力で反発して排除する。それは、私の思想信条を侵害する行為だ。

今日もそんな輩が賛同者を利用しようと肚を探ってくる。それを全力で阻止する。