めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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死刑廃止論の胡散臭さ

どうして死刑廃止論者は胡散臭いのだろうか。神の前で人は平等だとか、その平等な人間同士が殺しを法で正当化するのはおかしいとか、もっともらしい主張なのになぜか胡散臭い。ただ、あれこれ視点を変えてみると確かに胡散臭いのである。

例えば、海外だと法律や政治が宗教や独裁体制と一体化していて、その教義に基づいた内容になっていることがある。そして、そのような体制は体制の意に沿わないことで投獄される政治犯を生む。そうすると、ある国では特定の体制の意に沿わないというだけで弾圧されたり逮捕投獄された末に死刑宣告されるとか、教義に従わないので逮捕されて死刑宣告されるなどという事態になりうる。だが一方で、国境を挟んだ別の国ではそんなことは問題視されず犯罪にすらならないのが当たり前というようなこともありうる。

要するに、簡単に選ぶことができない生まれついた国や宗教のせいで、本来死刑にならなくてもよいようなことで死刑になるというフェアではない状態が世界中で想定しうる。そんなことで死刑になるのはおかしいので、理不尽な理由で死刑になる人たちを無くそうという運動は起こるのは当然だろう。

かたや、日本には政治犯はいない。死刑になるのは目先の利益のために沢山命を奪った犯罪者の中でも最も凶悪な部類だ。それと海外の政治犯や宗教批判での死刑囚とを同じ目線で語るのは無理があるし、語ってしまったので死刑廃止論が胡散臭く見えてくるのだろう。ただ、日本の体制をよく思っていない勢力からすれば、凶悪犯罪者は犯罪によって治安を乱し日本の社会や体制に不安を生じさせて転覆の契機にすることは可能だろうから、革命家枠で彼らを遇して擁護しているのかもしれない。