めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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リベラルの劣化とは何か

リベラルの劣化などずいぶん前から保守層が言ってきたことなのに、今になってリベラル陣営からもその意見が出てきた。リベラル系が政権を取った民主党政権時代の国政の停滞ぶりとか、国会前で大騒ぎのデモを行っても世間は冷ややかな目で見て国政も動くことはなかったとか、認めざるを得ない現実を突きつけられたからだろう。

欧米でムーブメントが起こるとその劣化コピー程度の模倣しかできない日本のリベラルたち。実際のところ活動の趣旨も理解できておらず、欧米でそのムーブメントが起こった理由である特定層の困窮とか厳しい現状といった社会背景とは全く合致していない層が仕掛け人のあおる熱狂に乗じて騒いでいるに過ぎない。

それは国内で本当に解決すべき問題の抱える現実とも乖離しているので、結局まともな人からは相手にされない。それでも、騒ぐ連中は自分たちに対する評価を過大に行うし、マイナス評価するものを団結して敵視する。それは、騒ぐことで一応団体に一体感が生まれるためであるし、自分たちが大きなものに属して社会の巨悪と戦っているという気になれるためである。

これまで大騒ぎして消えた社会運動はたくさんあった。アイスバケツ、99%の貧困層、保育園落ちた、9/1の図書館、シャルリエブド、どれも騒動に便乗して大騒ぎしたいだけの連中の消費対象になったか、具体的な行動を伴わずに無責任に騒いで終わりとか、騒げば騒ぐほど問題がうやむやに霞んでくるとか、本来の目的とは大きく乖離した結果だった。

人を支援する行為にも知性は求められる。弱者への援助と、弱者を援助している自分に自己陶酔する行為は分けるべきである。そして、リベラルで「意識が高」い市民なるものの「意識」というものの本質が、結局リベラルとは正反対の「空気を読んで同調」という土俗的なところに根差している。

この旧態依然とした部分を変革するのが保守である。だからリベラル派は保守から馬鹿にされる。日本は保守革新が逆で、保守の思想の根幹が「国造り」といういわば革新的な思想にある。一方で革新を名乗る連中がいまだに資本家労働者とか旧態にすべてを当てはめることに固執した結果変革の足を引っ張る。