めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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技術の進歩を拒否する人達

昔のニュースでは中継の代わりに海外特派員との電話音声のやりとりが放送されたものだが、その時に画面に登場する特派員の写真は大抵電話を持っていた。要は、この当時の電話はステータスシンボルだったのである。海外駐在がまだまだ身近ではなかった時代に瞬時に海外とのやり取りが可能になるという意味では先端の技術であったし、その技術を使いこなして報道しつつ外国語が話せるとか高価な電話代を惜しげなく使えるというのは、この時代としてはある種の特別な立場だった。電話がそのような意味を帯びていた時代はコンピュータで遠隔地同士の通信が可能になる時代まで比較的長く続いた。

ところで、今もその価値観は続いている。スマートフォン以前の時代の普通の携帯電話の時代から今に至るまで、電話機という枠の範囲内で次々とメールやwebの新しい機能が付加された新機種が登場しては市場で置き換わっている。そうはいっても、そこで行っていることは昔と変わらない。音声のやり取りや、誰かが作成した写真や音楽の視聴、文書のやりとり、昔から行われてきた情報のやり取りが端末を場にして行われているに過ぎない。だから別に最新機種でなくても通話は可能であるし、携帯電話でなくても通常の有線電話でも電話自体はできる。

それなのに、スマートフォンは否定するのだが、普通の電話は否定しないというケースがある。そんな新しい技術を否定する者は、その否定の仕方が矛盾していることがある。windows95以降PCが急速に普及していた時代でも仕事で必要だというのにPCを使うことを拒否する年配の会社員というのがいた。ほとんどは数年後のリストラの嵐で一気に解雇された。彼らはPCの否定はするのだが、コピー機ファクシミリのようなOA機器は使う。決して手書きで複写をしようとはしない。あるいは、地域情報のミニコミ誌で画家が紹介されていたのだが、メールは使わないなどと現代社会に抗うような描写の一方で、自宅は黒電話があるなどと書かれていて結局テクノロジーは使っているというオチがつくものがあった。

こういった技術を否定しながら結局使っているような輩というのは、実際は何の信念もなくて単に新しいものを知ることが怖いのだろう。新しいものを知らないという無知が露呈するとみっともないという見栄があるのだろう。そして、それらは新しい技術を使えないことによる損失と利得を比較すると拒否し続けるほうが有利だと踏んでいるから否定しているのだろう。

仕事で求められようと、PCの使用を拒否することはできる。それを拒否して解雇されても経済的に困らないような富裕層ならば、使わなかろうが何ら社会的に不利益は生じない。あるいは、PCを使用するような仕事とは無縁ならば、使わなくても仕事は可能だ。だからといって、新しい技術を使わないと生存していけないような人たちに対して、それを使うことを否定するような暴言を吐いてはならないし、ましてや本当は使わないと生存できない陣営なことに気付かずに新しい技術をやみくもに否定してはいけないのである。