めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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人生は選択らしいゾ

「人生は選択」と言う者ほど、なぜか選択を否定する。なんでも、人生は選択の連続なのだそうである。あらゆるところに分岐点が存在していて、それを自分が選び取ってきた結果が現在なのだそうである。そして、今後も人生は選び取れるのだそうだ。そのような主張が出てくると、いくらでも選べない状況が思い浮かんで胡散臭くなるのだが、それを選択論者に説明しても、なぜか聞く耳を持たない。話を遮って主張を押し付けようとしてくる。

逆に、選択をするという行為に対して異常な敵意を持っている。ある選択による結果が好ましくない場合、座してさらなる悪化を待つか、最悪な状況を回避するために撤退したりやめるという選択を新たにとるか、「選択できる」。ところが、選択論者は悪化しても自己責任なのだから我慢しろ受け入れろと言う一方で、回避をするという選択行為は必死で否定する。

また、「選ばない」という選択肢も時として存在する。存在している選択肢のどちらも魅力的ではないし、実行したところで自分に利益をもたらさないことが明確ならば、無理に手を出さないで他の機会を待ってもよい。だが、選択論者は彼らが用意した数パターンを無理やり選ばせようとする。勿論、選んだら選んだで、その結果が悪いと自己責任にされてしまうという罠が待ち受けている。

「人生は選択」というときに、物事が一定の段階まで進展して、過去の時系列を振り返った時に正解だったと思える判断や失敗した判断が思い浮かぶことはあると思う。だからといって、現在から未来へ向けた時系列の中でも同じような判断の連続を計画的に行っていくことは出来ない。見通しがつくほどに物事は単純ではないし、選択肢の与えられない判断もあるからだ。そして、選択すると言っても、意識的に「選び取ったのだ」などと自覚するほどではない判断もある。もちろん、後から方針を変えることによって、失敗しかかっていたことが成功に導けることもある。最初から、選択肢が明確に決まっている中で選び取って、悪い結果だろうと全て自己責任で処理されるという例は少ない。

だから、「人生は選択」という言葉が出てきたときには警戒すべきである。その選択の内容が、どの時系列を指しているのか。過去を振り返って言っていることなのか、それとも将来のことならば何故明確に見通しが立てられるのか。そして、必死で彼らが選択させようとしているものに、自分の一生を委ねるだけの価値があるのか。つまり、彼らに都合のよいように他人を動かしたいというときに、あらかじめ彼らが用意した選択肢を選ばせて、彼らの思うように物事を動かそうとしていないかと警戒したほうが良い。

ブラック企業が散々批判されているし、さっさと離職しろという声もある。そんなブラック企業の中にも、売上順などで社員の序列がついており、その上位を目指して社員は必死で競っているのである。ブラック企業の売り上げなど傍から見ればくだらない競争であるが、社内でそれを目標として提示されている社員にとっては重大な世界観なのだろう。それがばかばかしく見えたら、「人生は選択」などという言葉を利用して無用なものを選ばせようとする連中には騙されないものの見方ができるだろう。