めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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センター試験で不正をしたお前に告ぐ

今年(2016)1月に施行された大学入試センター試験で、試験運営者の発表によると不正が7件あったという。私のころのセンター試験は普通に学習しておけば解ける内容であり、不正を講じる方が余程手間がかかるのではないかと思ったのだが、今は違うのかもしれない。受験勉強をするよりも、不正をしたほうが簡単に得点できるといったところだろうか。

ただ、全体の受験生数十万人の中で7名であるから、大半の受験生は堂々と自分の力で受験したのだと思う。

大学入試の場での不正と言えば、数年前に京都大学をはじめ、いくつかの有名私大で入試会場に携帯電話を持ち込んでYahooの質問掲示板に問題内容を照会して、それを解答に書き込むという呆れた事例もあった。この件では警察が動き、大学学内でとぐろを巻いている左翼活動家が大学の自治を楯にして反発していた。ただ、試験監督をしている教員が見抜けなかった不正だからこそ複数大学で実行できたのであるし、それを試験監督の注意不足のせいにして教員を処分するという学内完結型の対応では処分された教員がかわいそうであるし、彼らの多くは期間雇用の不安定な立場なのだから、防ぎようの無いもののために職を失う方が余程左翼は反発するのではないだろうか。

自分の力で堂々と勝負しなければならないところで、不正に走る。これは、精神論抜きにしても、精神的な弱さのためだろう。高校を卒業すると、就職を選択した者は業務上の責任を負う立場になる。進学にしたって、進学先の選定の段階や受験に対する結果など、何らかの自己責任的が関与する部分の割合は大きくなる。

要するに、これまでは親とか学校とか世間の甘い庇護下にあったところから出なければならなくなる。その本格的な第一段階が大学受験である。公正な基準のもとで、自分の裁量で突破することが求められる。ある意味フェアな仕組みであるから、高校辺りまでは不当な扱いを受けてきても試験を解くだけで自由な立場に逃げることも可能である。一方で、自分の力で問題を解決するだけのことが出来ないとか、親の立場とか出身校の地域内での序列とか、そういったもので周囲にちやほやされて自己の立場を保ってきた者にとっては、それが通用しなくなる。妄想の中ではエリートのつもりでいても、全国の同じような受験生の前では所詮は妄想に過ぎないことを明らかにされてしまう。それに耐えることが出来ない精神的な弱さがあると、不正に走るのだろう。

やる気とか、勉強とか忠告というありきたりの方法では、精神的な弱さは治らない。世間に数多くある学習塾や予備校では、教科は教えてくれても精神的な弱さをどうにかする方法は教えてくれない。そのくせ、誤魔化すための逃げ道はいくらでもある。これまで通りに甘やかしてくれる地域社会の中に引きこもる方法もあるし、実力を問われない緩い基準の大学もある。現実には、これは解決方法ではない。数年後に就業年齢になった時に実力や実績を問われて同じような問題を再度突きつけられるし、地域の高齢化や学校の統廃合でちやほやしてくれる人たちも年々減少する。

センター試験で不正をした7名は、自分の力で幸せを得る道から逃げた。不正に走る程度であるから、自力で幸せになる方法を知らない。誰かしら都合のよいものを与えてくれる機会が無い限り、彼らの周囲の者が次々と大学の合格や就職や家庭生活で幸せをつかんでいく中で、彼らは一生幸せになることは出来ない。彼らが出来ることは逃げること、それから他者の幸せを壊すことだ。壊すことは出来ても、奪って自分のものにすることは出来ない。

こんな事を考えている時に、駿台福岡校の生徒が同じ予備校に通っていた女子生徒を殺傷したという事件が報道された。丁度、大学受験も終わったばかりであり、各自、自分の実力の程度を突きつけられた矢先の事件だ。ネット掲示板を見ていると、加害者は未成年で報道されずに出所後は普通に医学部などの大学受験をして、被害者家族の不幸をよそに幸せに暮らすのではないかなどというコメントがあった。だが、他者の幸せと同じものを目指さずに、壊すことで問題が解決すると思っている段階で、加害者の出所後の生き方は不幸と確定しているのである。