めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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オッサンの見栄の張り方

見栄を張るにも適切な時期と方法があると思う。

若いうちは、中身のない事や実体のない事をひけらかすと、それだけでチヤホヤしてもらえる事がある。広い社会の中での評価ではなくて、学校とか地域とか塾とか、狭いコミュニティの中で優位だったとか、仲間内での賞をもらったとか、その程度のことだ。そこで得た立場が当然になり、より広い人間関係の中でも優位が通じると考え、狭い人間関係の中で受けていた待遇がコミュニティ外でも受けられる甘えていると、年をとってから惨めになる。その辺の歳を重ねた連中の大半は、何らかを挫折したり妥協して今の立場にいる。オッサンの若い頃の挑戦と挫折というのは当たり前のことであり、殊更に誰も同情しないし、すごいとも思わない。ましてや、実体のない話に用は無い。

先日、ある分野で名前を知った落語家のプロフィールをHPで見ていた。そうしたら、社会的評価のための箔すらつかない余分な情報で自己アピールをして、結局それでどのような称賛を集めたいのか理解に苦しむ内容になっていた。

まず、親の職業を出す。落語と関係ない。「医大を目指すも落語家に入門」とある。なぜそのようなことを書くのだろうか。きちんと受験して合格したうえで辞退したり、中退して入門だったらわかるのだ。だが、受験も合格もしていないなら、最初から書かなくても同じだ。

医学部の受験は難しかろう。全国から受験を突破するために勉強した受験生が集まるのだ。あまり聞いたことのない都立高校卒業で、進学の代案が落語弟子入り程度の本気度しか無い者は、はなから合格しない世界だ。仮に医学部を受験したとしても、大学ごとの合格者は上位100人程度であり、その数倍が不合格者になる。つまり、「医大を目指すも断念」という者は不合格者と、受験すらしていない自称医学部志望者も含めると全国に数万人単位でごく普通に存在する。医学部ダメでも有名大合格なら別のPRポイントになるが、医学部受験を目指していたと自称するくらいでは全く凄くないし、プロフィールに箔などつかないのである。

医学部を目指していたと自称することは、私でもできる。そんな事言ったところで、誰も凄いとも頭がいいとも思ってくれないと確信している。これが、世間で中卒高卒が当たり前だった時代にはすごいことだったのかもしれないし、学卒でなくてもなれる落語家の世界だと相応のPRポイントになるのかもしれないが、実際に試験結果を出していないのであれば客観的に頭の良さを示す手段ではないので、そんなことをアピール手段にするのはみっともない虚勢である。

「医学部受験を断念した」という60歳近い落語家、そのプロフィールを見せられるまで名前すら知らなかった。そして、これを書いている今、再度名前を思い出せなくなっている。落語家として印象深い演目があれば、本人写真を見れば既視か思い出せると思ったが、それも無かった。観客を本気の芸事の世界で圧倒して引き込むほどの領域になったら、くだらない、実体のない学歴アピールなどしなくなるだろう。

本当に賞賛される人は、どうでもよいアピールで賞賛を集めようなどとは企図しない。実態のあることをしていて、それを基に更に大きな事をしている。評価はそこについてくる。評価のために何かをするのではなく、何かをして評価がついてくる。この落語家と同年代で、本当に物事に取り組んできた者は、くだらない自己PRと一線を画して、そうやってきた。それが出来なくなった時に、本当の挫折や断念をしてきた。