めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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医学教育を愚弄する東北薬科大

仙台にある東北薬科大が1978年の山梨医科大学(現:山梨大学医学部)以来の医学部医学科を新設して、学校名を東北医科薬科大に変更するのだという。6年間の学費は3400万円で、ひと学年の定員100名の約半数は一定期間の地域内勤務を条件に資金の貸与を行い、進学困難者の経済支援をするという。また、臨床実習教育のために地域の病院と提携し、その中には2011年の震災で一躍有名になった石巻赤十字病院などが並ぶ。

震災の復興支援という医学部の新設の名目に相応しい、いかにもマスコミ受け、地元受けしそうな華々しい文句が並ぶ。だが、それらの華々しい飾りを取り払って冷静に見てみると、アピールの裏のお粗末な面が見えてくる。

例えば、学費の貸与を行い、地域医療を志望しながら経済的に進学が困難な者を入学させたいとしているが、その奨学金の枠は入学者全員ではない。また、貸与対象者も満額支給ではないので、6年間で400万円から800万円の自己負担が必要になる。他の機構から貸与を受けるとしても、それは地域医療従事で帳消しになるわけではないので、一定期間(恐らくは9年間)は東北に拘束された上で育英会なりの借入金返済も同時にする必要がある。

もちろん、在学中は仙台に居住する必要があるし、大学側が主張している地域医療のネットワーク病院での実習をするとなれば、その場に移動して、小規模引越しもどきに勉強道具等を搬送して、一定期間居住する必要がある。つまり、学費以外に実質居住地を複数構えるだけの経済的負担を覚悟する必要があるということだ。

しかも、入学者の約半数が対象である以上、奨学金を当て込んで受験したとしても誰もがそれを受け取れるわけではない。その選考の基準とタイミングがはっきりしていない。合格の段階で決まるのか、入学後に決まるのか、在学中に頑張れば支給対象に入れてもらえるのか、私立で国立と併願する者がいる中で、大学の合格の段階で奨学生の絞り込みをできるのか。そもそも、あちこちの自治体では同様の僻地医療従事を条件にした奨学金制度があり、国公立でこれを利用すれば自己負担額は東北薬科大のそれよりもはるかに低くなる。

結局、この大学の奨学金制度は名ばかりであり、基本的に入学者は保護者あるいは本人に学費全額の支払い能力がある者に限られる。そもそも、経済困難家庭で医学部に進学できるだけの教育を子供に受けさせられるかという疑問があり、東北医科薬科大が標榜している奨学金制度は一定期間に地域に卒業者を拘束するための手段でしかないと見てよい。

また、貸与後の返済方式の問題がある。地域医療の就業が規定されている期間中に離脱するときに、当初貸与された奨学金の返済は満額なのか、勤続年数に応じて減額になり、繰り上げ返済して離脱できるのかが不透明である。満期就業でなければ、直前1か月で辞職しても満額請求される「産業医大方式」と言われる方式の場合、受給者との間でトラブルが発生しうる。

また、2011年の震災から4年近く経過しているにもかかわらず、相変わらず復興が進まずに大学まで開学しなければならないほど深刻な理由は過疎化が進んでいるためである。地元の公務員と生活保護年金生活者以外は地元の産業に就労して生計を立てる必要があるが、そもそも産業自体が衰退傾向であり、若年者は出ていく。元々その傾向があったところに大災害があって、なおさら衰退が顕著に見て取れるようになったのが現在の東北の姿である。

これだけ過疎化が進んでくると、卒業生を輩出しても実践的に診療ができるようになるための症例が不足してくる。特に若年の患者は不足する。そうすると、この手の地域で不足しがちな小児科や産婦人科の医療者の養成が新設の大学に求められていても、地域ネットワークなる病院群は高齢者のたまり場のために専門医の養成をするには症例も機会も他の地域に比べて少ないという事態になりうる。

東北薬科大の奨学金貸与枠のほとんどが宮城県で、卒業生の偏在を心配する声があるというが、むしろ比較的都市部である仙台周辺でなければ地域医療に必要とされている戦力は養成できないのではないだろうか。自分たちの卒業生の取り分が少なくなると文句を言っている周辺の県は、「医師」と肩書きの付いている者を囲い込みたいだけであり、自分たちの地域が専門家を養成していくという役割や務めを果たそうとしていない態度が見て取れる。そんな土地に、この大学の卒業生が配属されたら、さぞかし就業義務期間は不幸なことだろう。

東北医科薬科大が仙台に開設される以上、地域医療ネットワーク病院なる連携に気を取られる以前に、まず大学のある地元・仙台の医療をどうしていきたいのかについても表明したほうがよいだろう。現在の大病院は基本的に初診よりは周辺からの紹介制度であり、それは東北薬科大の付属病院も同様だ。そこに紹介されてくる患者は、学術機関としての大学医学部の症例や実績蓄積の基となるし、医学教育の協力者ともなる。東北薬科大は震災の報道で有名になった被災地の病院にばかり気を取られて、仙台で何をやっていくかについてのビジョンは明確にしていないように見える。

現実的に考えて、仙台から遠く離れたあちこちの提携病院にスタッフや学生が簡単に行き来できるわけではない。患者が地域の医院から紹介されたからと言って、すぐに離れた仙台の病院まで行くわけでもない。結局、被災地支援をどれだけうたっていようが、最後は仙台近辺の医療者の協力を仰ぐことになるだろうし、そのウエイトは大学病院の中でかなりの率を占めるだろう。地元仙台の医師会や他の病院などとの地域医療連携はどうなっているのか。まさか、被災地の地域医療ネットワーク病院だけに気を取られていたわけではあるまい。

病院自体にも問題がある。新設である以上、関連病院も卒業生のネットワークのような連携体勢の他に、診療科の医局が実績も歴史も無い中で医療と医学教育をこなしていけるように機能するか不明である。全国の他の大学と同等のことが出来なければ、教育機関としては最後発の山梨医科大学にも37年分遅れているということになる。教授あたりの常勤のポストは公募すれば集まるだろう。だが、実際の診療や教育を下支えしている、非常勤ポストはどうだろうか。

給与が出ていないとか、大してもらえないとか、他の理系研究者のように任期付のポストだったりするという不安定な雇用条件の多数の医局員たち。それが各診療科に大量に配置されていて、大学病院という病床数の多い施設の診療業務にあたったり、他の大学の学部に対してみれば学生一人あたりの教員数が多いほどに、少人数教育的に学生教育を行っていく。

悪い言い方をすれば軽んじられているような立場の多数のスタッフによって大学病院が成立しているわけだが、新設の、実績も歴史も卒業生のつながりも、関連病院も一切無いような病院に、雇用条件もハッキリしないうえに、そこに所属することによる将来のキャリア展望も不透明なところに、利益にもならないのにわざわざ入ってくる者がいるだろうか。それこそ、何かの事情で現在のポジションにいられなくなったので、逃げるように入ってくる者のたまり場になりはしないか。下支えのスタッフが集まらなかったときや、質が担保出来ない場合、教育が成立するのだろうか。

地域医療との連携、協力病院の実習受け入れや、医局員の存在、現在の日本の医療は多くが医療者の善意で支えられている。これは治療のみならず医学教育についても同様のことが言える。東北薬科大学が新設する東北医科薬科大学医学部は、この一番大事な部分を甘く見ているように見受けられる。

東北薬科大は、単に学科を新設すれば全て上手く動くと考えているようだ。しかし実際は、後進を育成するという理想とか、自分もお世話になったという卒業生間の儀礼とか、善意のやりとりが基になって教育が動いている面が大きい。これらをドライにビジネスとして割り切り、金銭換算して清算するという話になったら、恐らく支払う予算が不足するので医学部新設は断念していたと思われる。いつの間にか善意を受け取ることが当たり前になってしまい、与えてくれる者の存在を軽んじるようになったのではないだろうか。

医学部受験の塾予備校講師の間では「山形大パターン」という言葉があるそうだ。これは、学力の低い医学部志望の受験生が共通試験を受験したものの低得点だったために、予備校発表の過去の受験生の入試データを見ながら共通試験の点数が低くても個別筆記試験が受験できる点数で、なおかつ筆記試験で合格しやすそうな偏差値の低い大学に大挙して出願をする傾向があり、前年度最低ランクだったところは次年度で出願が多くなるので合格最低点が上がって玉突きのようにランクが上がり、最低ランクの大学が毎年輪番のように変わるという現象のことだという。山形大はその一つなのだそうだ。

なぜか、その話で出た大学ほど地域医療の医療者が不足している地域に等しい。だから、その種の大学には受験生人口の多い都市部から大挙して受験しに来て、卒業後に出身地に大挙して戻っていくのだろう。地域の住人ですら地元を見限って子供たちを都市部に行かせているのに、ましてやわざわざ進学のためにその土地に来てくれた学生に対して、そこに今後も居たいと動機づけさせられるような魅力も作り出せないような土地が、毎年地元の大学の卒業生を他の地域に逃がしつつ、東北薬科大のような一定期間地域拘束のシステムで地元に医療者がやってくると小躍りしているわけである。その意味では、東北薬科大は受験生も軽んじているのかもしれない。