めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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車中泊ブームへの疑問

値段が安いというときに、必ずしも良いことではない場合がある。安い背景が、面倒や負担を誰かに押し付けて、なおかつその手間に対価を払っていないから安いように見えるだけで、本当のコストは同じという場合があるからだ。

今はそうでもないと思うが、ちょっと前だと老人医療は喉が詰まるほどの飲み薬や使い切れないほどの軟膏やシップを処方していた時代があった。受益者である老人からすれば、わずかな老人医療の保険料で(そのさらに前は保険料すら不要だった)それだけ得られるのだから、得をしたとでも思うのだろう。あるいは、テレビ番組でも節約して按摩を受けられる方法として、医療保険鍼灸治療を受ければよいということを指南しているものがあった。これは平成に入ってすぐの頃の話だが、今であれば自主規制的にそのような過剰受診を促す内容の番組は流さないものと思われる。

実際は彼らが支払っていない分を公費で負担しており、その重い負担を納税者が背負っていたのである。得でも何でもなかったのだ。背景の負担を考えずに一方的に奉仕を求める思想は、いわゆる「ブラック企業」の隆盛や「就業者のサービス業離れ」を惹起するだろう。求めるなら、それ相応の対価を出さなければならないのだ。

ところが近頃、対価を出さずに自分達だけの利益を求める者があちこちに出現している。それは、中高年のキャンピングカーブームである。旅館やホテルに宿泊せずに車中泊するとコストがかからないのだという。あれこれと設備を搭載して燃費は最悪で、それでも特装車で初期費用が掛かると思うのだが、なぜかマスコミはそこに触れない。そして、費用がかからない旅行ができるという理由を見ていると、まさに負担を他に押し付けて自分たちは利益の部分だけを得る思想そのもので寒気がしてくる。

車中泊旅行では公共の場の駐車場を長時間占拠して寝泊まりし、水道やトイレはそこにある設備を拝借するのだという。入浴は地元の日帰り入浴施設を利用したり、宿泊費の不要な分は駐車している場所の飲食店を利用したり、そこで食材を購入して、「地元にお金を落とした」と必死で言い訳をしている。これは、数百円のコーヒーで何時間も居座るノマドワーカーと同じ精神構造である。

地方の国道沿いにある単なる公園の駐車場は夜は照明が無いところもあるし、トイレも必ずしも綺麗ではない。そして、地元の暴走族などのたまり場だったりして、どこかしら犯罪に巻き込まれそうな気配すらある。それに比べれば、最近の道の駅は小奇麗だ。駐車場は夜も明るいし、トイレもきれいに掃除されている。綺麗な分、相応の維持費がかかっている。それは短時間滞在して施設を利用した客が別のところに移動する、その回転率で採算を合わせる仕組みだろう。さすがに何時間も居座られたら、回転が悪くなるし、新しく来ようとする客が駐車場の塞がりを見て避けるようになるかもしれない。

道の駅で食材を買っているとか、地元にお金を落としているなどと胸を張ったところで、たかだか小銭である。それで長時間居座られて、煮炊きは車内の密室内でするわけではないだろうから、においやごみが発生し、滞在分のトイレや水道の利用量だって、短期で駐車する通過客よりは使用量は多くなる。その分の負担を道の駅の施設所有者に対して、飲食を「してやっている」とか食材を「買ってやっている」という言い分のもとで押し付けているのは自明である。

当たり前だが、短時間だったり、滞在者が少数なら施設管理者も黙認するのかもしれないが、その数や日数が増えてくると話は変わるだろう。そのあたりの長期滞在に対して駐車料金や調理への制限、トイレや水道の利用への料金やチップ制度が発生したら、車中泊だと宿泊費用が掛からないという理論は崩壊する。施設管理者が夜間の駐車時間を制限するようになって、車中泊を排除する動きを見せるかもしれない。あちこちに負担を押し付けていて、その負担させられる側の善意に支えられているのであって、善意が当たり前だという態度になった場合には話は変わるだろう。

旅館やホテルの組合は各地に存在しているから、そこから要請があるならば地元の自治体は一定の配慮をするだろう。あとは車中泊規制までまっしぐらだ。基本的に自動車は乗って移動する手段であって、車中泊をするのであればキャンプ場に初めから行けばよい。実質安宿に普通の車で行って、素泊まりで食事を持ち込んで滞在したほうが費用としては変わらないし、「地元にお金を落としている」と胸を張って言い訳をしなくても、通常の経済活動の範囲内で誰も迷惑しない。