めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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中京病院の医師の事件を見て思ったこと

先日、このブログで「断る」ことは重要な社会スキルではないかということを書いた。そのことを痛感するニュースがあった。

先日愛知県の中京病院という大病院の診療部長が、無資格医療のために診療所開設届け出を偽装した容疑で逮捕された。この診療部長は熱傷の整復の分野では名医として著名な人物だった。ただでさえ医師という業務が独占できる職種や、大病院、名医といった肩書が重なってくると、それをうまく利用して利益を得ようとするいかがわしい連中が近寄ってくることは容易に想像できることだ。

業種が違うが私も経験がある。資格がないとできない業種の社会的な知名度や肩書に便乗して、無資格の者が金儲けのために有資格者に近づいてきて寄生し、類似業務を行おうとする。そのための名義や場所の寄生先を探している者があちこちにいる。こういう連中は隙が無くつけ入って来ようとするし、求めに対してYesと言わせるために必死でしつこい。

だから、逮捕された中京病院の医師が(性善説を採用して、)単に巻き込まれて利用されただけだったとしたら、どのように医療コンサルタントとか治療院を開設した人物に利用されていったのか、その過程がなんとなく理解できる。

こういった話が出てくると、業者との癒着をなくせばよいとか言い出す者が出てくる。だが、医療でも他の業種でも、物品の納入が無ければ業務が回らないところでは業者が絶対にからんでくる。そうでなくても、医療では現場の声を取り入れなければ重大な欠陥品を患者に押し付ける可能性もはらんでいるわけで、業者とは一定の関係が必要と思われる。

断れない関係もある。患者として来られたら簡単に断れない。あるいは、専門分野の講演などで近づいてきたのかもしれない。そういった接触をされると、初めからキッパリ断る口実は作りにくいだろう。

だから、関係があることが悪というのは言い過ぎであるし、それを医療の場で強制したら医療が成立しなくなる。だが、相手との付き合いの中で善悪の線引きを行って、これはまずいと感じたら逃げる・断るというけじめをつけられないのは問題である。悪いことと分かっているのにズルズルと付き合いを続けて利得を得ているのであれば、巻き込まれた被害者と言うよりは悪い連中の仲間と同一視されても文句は言えない。

今回の事件の容疑では自分ではない別の医師の名義をあっせんしたうえで、個人口座に業者から毎月の振り込みを受けていたという。これも問題で、中京病院の運営母体は旧社会保険病院系であり、公的性質が強いところの常勤医師である。だから、診療所の偽装開設と同等に、常勤医師の立場で私的に現金を収受する行為は収賄と言われてもおかしくない。しかも、金額が毎月数十万円であり、単なる講演会の謝金や交通費では説明がつかない。謝金だって職場を通して受け取るべきだろう。

だから、今回の事件は肩書や資格を目当てに近寄った悪人に利用された可哀そうな名医という具合に、純粋に同情できない。患者からの謝礼ですら受け取りを禁止している病院が増えている時代に、正当な理由なく現金を受け取ってしまった段階で同情不要である。

ところで、この中京病院は数年前に知人の見舞いに行ったのだが、エントランスのわきの所にある警備室の警備員の態度がやたら高圧的で異様な雰囲気だった。見舞いで来て場所を聞いただけなのに、なぜあんな対応なのかと不快に感じた。元警察官で、退職しても職務権限が残っていると思い込んでいるのだろう。定年退職と言う風でもなかったし、円満に勤続できない何かの事情で退職しておいて警察官気分というのもいただけない。その不快感は見舞いを終えて京都まで新幹線で戻る間もずっと続いていた。あの辺は治安悪いという話なので、変なのが一杯くる病院なのかもしれないが、それにしてもおかしな雰囲気のところだった。

そんな体験があったので、今回の事件のニュースを知った時に中京病院関係者には申し訳ないが、「あそこなら起こりうる不祥事だな」と思った。あの病院の淀んだ雰囲気に毒されて医療者の体質もあの程度に堕したのかなと思った。