めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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子供たちを騙す「Youtuberブーム」への疑問

Youtuberなるものをしきりに礼賛して、その養成ビジネスに誘い込もうとしている連中がいる。曰く、Youtuberが儲かっているとか、クリエイターを募集するプロダクションがあるとか、動画づくりのセミナーとか、Youtuberが今どきの子供たちのアイドルになっているとか、むちゃくちゃな話ばかりである。

正直、この種の流行を何物かが作り出して流行っているように思わせ、沢山人を誘い込んで自分が胴元になって、自分だけ儲けるという話は過去にもあったと思う。今どき真に受ける人はいないと思うが、2003年ごろの朝日新聞派遣社員は新しい時代の働き方だと書き立て、正社員よりも給与がいいとアピールしていた。まさか数年で格差社会などといって手のひらを返す論調をとるとは思っていなかっただろう。あの時と同じ胡散臭さを感じる。

儲かっている人というのはどの世界にもいるだろう。その分布はおそらく世間並みだ。全員が儲かるわけではない。ごく一部だ。そのごく一部は、サービス開始の早いうちに参入して、参加者の少ない時期に目立つことをしたり、コンテンツがスカスカの状態の中にある程度作りこんだものを送り込んで視聴者の支持を得たり、初期の規制の緩い時期に不正まがいの方法でシェアを獲得したり、どの業種でも比較的新興の分野で第一人者になっているところというのは初期の悪あがきに成功して生き残っているパターンだろう。Youtuberでもその種の連中が多くの権益を握っている。だから、今から参入しても以前よりも参入障壁が多くなっていて、彼らのようにはランクを上げることはできない。

そんな乱立しているYoutuberを囲い込もうとプロダクションなるものが暗躍しているという。プロダクションに入るとマネジメント料をとられる代わりに広告タイアップの企画が転がり込んでくるなどのメリットがあるという。だが、知名度が低くて、再生数が少ないユーザーに広告依頼をする企業は何を考えているのだろうか。本当に広告効果があるとは思えない。

しかも、人気Youtuberの模倣をしている顔出しの小中学生がこの手の話に飛びついているようだが、本当に提携するには契約が必要になる。小中学生の場合は未成年であるから、いちいち保護者の承諾が介在しないと面倒なことになる。収益性が低いうえに契約面で面倒ばかりだ。これなら普通にTV CMでもうったほうがましだろう。

そもそも、小中学生Youtuberは彼らの保護者に対して顔出しでYoutubeに動画を掲載していることや、収益を得ようとしていること、プロダクションに所属することなどをきちんと打ち明けていて、許可を得て活動しているのだろうか。人気Youtuberの模倣をしている子供たちの動画を見ていると、下手すれば「バカッター」の温床になりかねない内容が多く、まともな親ならば反対しそうだ。

こんな具合では、広告の企画が転がり込んできても、せいぜい宣伝用に本人が商材を購入する必要があって、広告を見て購入する者は皆無、結局Youtuberの広告タイアップと称してYoutuberに商品を買わせるマーケティングという醜いオチの付く商売で搾取されて終わりそうな予感である。

大体、人気Youtuberの模倣動画は見ていて面白くない。人気Youtuberは長い間動画作成をしていくうちに模倣ではない自分なりのスタイルとか、人目を惹きつける編集とか、ノウハウを身につけている。模倣Youtuberを脱するには、その自分なりのスタイルの確立とか、ノウハウを身に着けるための経験数が必要になるだろう。模倣者がそれだけの手間をかけているようには見えないし、手間をかけたからこそ人気Youtuberの地位を手に入れた人たちが一握り存在しているのだろう。

そして、Youtuber人気の一番の不安要素が、この人気があとどれくらいの期間続くのかということである。子供相手のアイドル路線だと、視聴者が成長したら一気に支持を失うのではないだろうか。小学校低学年で面白いと思ったものは、高学年になったり中学生になったら面白いとは思わないかもしれない。大人になると却って面白みを感じるのかもしれないが、それくらいの年齢層だと低学年の熱中するものの発する幼稚な雰囲気を忌避しそうなものだ。Youtuberが小学校低学年レベルの幼稚な内容を量産し続けていると、メインの視聴者が一定の年齢になった時にユーザー離れするし、その時に新たにYoutubeを視聴するようになる低年齢層にとっては別のYoutuberがコアな注目を受けていて、支持者を一気に失うリスクが存在しうる。

もちろん、Youtuber自身が子供の場合にも同様の問題がある。収益目当ての親が主導で動画を撮影し、子供に玩具レビューをさせているような場合だ。子供が大きくなっても幼稚園児や小学校低学年向けに、その年齢層の玩具のレビューをやらせるのだろうか。それは下手すれば児童虐待まがいのトラウマを子供に与えないだろうか。そして、動画づくりが年齢のせいでできなくなった時に、その収益を当てにしてきた一家はどうしていくのだろうか。

私の子供のころにはコロコロコミックという雑誌があった。小学校の低学年向けの漫画雑誌で、藤子不二雄の漫画の他に、玩具の販促のような題材のものや、当時の流行のプロスポーツの選手をデフォルメした漫画などで構成されていた。低学年のころは周囲は皆、この雑誌を読んでいて、自分だけ取り残されたような疎外感を感じた。だが、高学年になると読者は減って、漫画の題材にされているような玩具で遊ぶ者もおらず、かえって幼稚くさいと馬鹿にするような風潮だった。

インターネットが一般向けでなかった時代ですら、一般芸能では理解しがたい子供たちの人気のコアは存在したし、それらは大人の考える「たった数年間」で子供が低学年から高学年になるにつれて急速に流行って、そして衰退していたのだ。誰もがかつて通った道のはずなのに、なぜ忘れるのだろうか。