めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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個人の判断に干渉する者の目的

初めは親切に見えるのだが、関わる期間が長くなり、深いかかわりになるほどおかしい面が見えてくる者というのがいる。

なぜか、この種の連中の言動は同じようなパターンで、個人の判断にことさらに介入してくる。これは相手を管理下に置いて自分の思い通りに仕切りたいだけなのだと思う。

例えば、他者との関係。そこに介入して来る。当事者のいないところで、特定の人物を介して相手の動向や意向を知らされる。AとBの人間関係にCが介入してくる。CはAとBが双方揃っていないところで、その場にいない相手がどう思っていたか伝えたり、逆に相手にどう思っているのかを聞き出す。これはとても危険なことで、相手のことを歪めて伝えたり伝えられている可能性がつきまとう。だから、直接やり取りする関係を忘れないようにしなければ人間関係を第三者に操作されてしまうのである。

あるいは、他人の方針に口出ししたり否定して特定の物を押し付ける行為。その手の言動があったときは、押し付けてくる者が物事をどれくらい知っているのかを調査したほうがいいだろう。何の実情も知らないし、思い込みで根拠のないことを押し付けているだけかもしれない。その結果に対して責任をとってくれるのだろうか。それとも逃げるのだろうか。こんなのも、相手の言うがままにしていると生き方を操作されることになるし、それが行き詰った時にすべて自己責任で損失を押し付けられてしまう。

こんなことを書くと、親切心を仇で返すなとか言われそうなのだが、相手にことさら介入して判断を操作しようと企図している者は、その罪悪感で押し付けを拒否したり、拒否することをためらう方を選択するように心理戦を仕向けている。そして利得を得ている。だからこそ、その人物はおかしいぞと感じる面が次々見えてくるのである。

本当に悪意がないのであれば、親切なのであれば、洗脳ではないのだから相手の意思決定に介入して操作しようなどと思わなくてよいだろう。だから、それは洗脳の一種かもしれない。

過干渉な者の干渉行為は、最初のよく物事を把握していない段階では行き届いた親切心に見えることだろう。だが、なぜ専門家でもないのに殊更口を出してくるのか。自分で勝手に決めていいことなのに、鬱陶しいが親切心に反したら悪いという罪悪感を感じさせるのか。もやもやした疑問を突き詰めていくと、次第にそれが他者を自分の意向に沿って操作する為ではないかという疑念に収束する。

社会常識のある人なら騙されない詐欺や宗教があるだろう。その種の団体が最初にすることは、勧誘対象を常識から引き離して、自分たちの原理原則に思考を釘づけにすることだ。彼らのノウハウのほとんどは、その部分にあるといってもよいだろう。やたらと陣営外に敵意を抱かせるような言動、離反すると怖い目に遭いそうだと思わせる言動がみられたら要注意だ。判断の部分に介入してくる者は、この種の怪しい手合いと同じ手口を使っているに過ぎない。

騙されないためには、相手の言動に疑問を感じた時に、それを打ち消さないことだ。違和感や疑問に対しての根拠の取れる結論を得るまでは、思考停止しないことだ。そろそろ入学や異動の多い季節になる。この種の手合いが活性化する時期だ。