めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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善意を渡り歩く者

他人の善意を渡り歩く者というのがいないだろうか。
他者が誰かに対して何らかの感情から善意を差し出す。その善意は決して提供しなければならない義務によるものではない。任意で自発的に提供されるものである。それを困窮していると称するものが受け取る。
ところが、受け取る側が施しを受けている間に何か勘違いするようになる。そして、自分が他人から善意で施しを受けるのが当然だと思い、「・・・は無いのか」とか「・・・も出すべき」といったことを言い出すようになる。さらには、施しをしてくれる善意の人たちを召使だと勘違いしているとしか思えない言動をとるようになる。相手の都合は考えないで自分の都合で呼び出そうとしたり、それに相手が難色を示すと文句を言うようになる。しまいには悪口に発展することすらある。
ここまで来ると、手を差し伸べてくれた人たちはうんざりするようになる。そもそも、善意の提供は義務ではないので色々と言い訳をしたり、ある日突然連絡を絶ったりして遠ざけるようになる。そうすると、そこからは施しが得られなくなるので他の善意の人をうまくたらしこんで取り込み、再び自分のために色々と施しをしてくれるような環境を手に入れる。
肝心の本人は他人が自分のために尽くすのは当然だと思っているので、被害妄想的に他者から遠ざけられる理由をとらえる。そして、やっぱりこの人たちは最高だ、それに比べて前の連中は・・・などとこれまで善意を施してくれた人たちを蔑みながら、改めて何でもちやほや相手が用意してくれる自分の立場を確認する。そうしているうちに再び態度が傲慢になってきて、再び相手が離れる。仕方がないので次のターゲットを探す。
こうして、他人の善意を吸い取って施す側を消耗させ、消費しつくしたら次に乗り換えるを繰り返す。乗り換えの相手がいなくなったらどうするのか?実は、これまで散々悪口を言いまくってきた最初の相手に親しそうに近寄ったりするものだ。本人は自分は悪くないと思っているから、相手が時間をおいて反省し改心しただろう程度に捉えているのである。
どうだろう、身近にこんな連中はいないだろうか。あるいは、ネットでもブログなどを運営しているとこの種のクレクレがいないだろうか。
たとえば、ある投資詐欺の被害についての話題にふれる。そうすると、その解決のための弁護士の紹介や解決方法を書けとか、集団訴訟しろとか、彼らに都合のよい内容を書けというネット乞食が湧く。
文面が何を勘違いしているのかわからないが相手を見下すような高圧的かつ傲慢な書き方で、高い金を出した上客なので相応の扱いを受けて当然的なことも書いてある。ネットで相手が見えないのでいくら投資したのかは知る由もないが、それだけ金銭に余裕があるならば個別に訴訟が可能だろう。せいぜい50万か100万円ぽっちのくせに、気分が大きくなって上客ぶって尊大な態度になってはいけない。
そもそも、このブログは投資詐欺の会社ではないのだから顧客と会社の関係にはない。だから、その関係をブログに持ち込まれたところで応じる義務は無い。これはこのブログのみならず、その辺の一般人に対して同じ要求を投げかければ大抵の場合の反応だろう。
そして、ネットはクリックだけすれば色々な情報が掲載されているからといって、それを執筆している相手が無料でこき使えるという錯覚に陥ってはいけない。通常は欲しい情報は自分の足で探すかプロに頼んで探索するものだ。それは時間がかかるし費用も掛かる。情報探索のスキルのある者を拘束して、それだけの手間を取らせる代償としてプロは有料なのだ。そして、あちこちのサイトの人たちはサイトに書いている分野ではなくても、何かしらの分野でプロとして拘束されて、仕事という名前で手間をかけて報酬をもらっている。概ねの働いている人たちの社会生活はそういうものだろう。
ネットを見ればいろいろ書いている。そのことで相手が何でも情報をくれると思って、知らず知らずのうちに貰って当然の態度のネット乞食になっていないだろうか。何でもネットで書かれている時代だからこそ、わが身を省みてほしい。このブログとしては今後もクレクレに対して丁寧に対応することはないので、別をさがしてそちらでクレクレすればよい。そちらでも追い出されるかもしれない。そうして、人の善意を渡り歩くことになるかもしれない。それが嫌ならば、代案なり代償なりを出せばよい。