めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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息を吹き返した都市部居住忌避論

東京都内は居住に向かない環境だ、そして家賃が高すぎる。自然豊かな郊外や地方に移住しよう、土地が広くて安い。物価も安い。今はインターネットがあるから情報が手に入るし通販が利用できる。だから都心と地方の距離は関係なくなる、それならトータルコストが安くて済む地方は理想の土地だ・・・
このような主張する人たちが、最近ネットで都内の住環境批判や地方暮らしのレポートなどの情報発信をしきりにしている。そして、彼らの主張を見るたびに昭和40年代に郊外に本社機能を移転した企業の失敗例を思い浮かべる。
従来の地方移転論は経済活動をする企業の都合だったり、あるいは住居を持つ被用者の立場のものが多かった。どちらもコスト面でのメリットを当てにして地方に移転をしたものの、地方であることがネックになった問題に直面してきた。
ところが、今度この種の主張をしている人たちのメンツを見てみると、従来のタイプとは違うのである。どちらかというとその種の本流の経済活動の中にいない人たちが多いのだ。
すなわち、会社勤めなどの通常の雇用形態で賃金を受ける仕事はしていない。自称芸術家でアクセサリーもどきのオブジェや布製品などの作品を販売したり、ほぼ自給自足状態の有機農業をしたり、ネット経由でのコンピュータ関係の作業をしたりする形態の職業であり、生活形態も居住者のいなくなった農家跡などを間借りして、そこにシェアハウスの名を冠して大学のサークルのようなノリで共同生活をする、というともすれば以前からあった廃墟などに間借りして活動する芸術家のワークショップの延長のような形態なのだ。
正直なところ、この種の謎の職業だけで生活が成り立つとも思えず、本当のところの資金源は謎である。もしかしたら都市部在住時代の預貯金を取り崩しているのかもしれないし、表向きには見えないところで副収入が得られたり、資産家なのかもしれない。ただ、どうにも生活実態が無い不自然さを感じる。会社勤めだけではなくて、農業や漁業に従事している人たちの生活も多数知っているが、そのような本職の田舎暮らしをしている人たちが、様々な機材や農薬などを投入して生産性を上げても収支が今一つなのと比べると、彼らの手ぬるいやり方で生活が成り立つとは思えないのである。
誰が買うのかわからないありきたりで独りよがりなこだわりばかりの「芸術品」は、面白いが買わないという反応を示されるか、一個かったらもう十分なものばかり。労働生産性が悪くて自給がやっとで現金に換金しにくい農産物、直接相手と会わなくても済む程度の重要度の低そうなコンピューター作業、これらはある意味でアルバイトよりも実入りの悪そうな仕事である。その仕事に加えて、自給自足のための作業や大雨や雪などの災害時の復旧の負担までのしかかるのである。機材や建物の初期費用、電気代や燃料費、汲み取りですら現金がいる。だから、完全な自給自足など無理であって現金が必要なのだ。
だから、本当に田舎暮らしに溶け込んだら、のんびりと生活をする余裕などなく、自然淘汰されないように必死で、どんくさい生活実態になると思うのだ。ところが、彼らの提唱する地方ライフを礼賛する「ソトコト」のような雑誌やらイケダハヤト氏のような一部のブロガーの取材を見るとそうではない。たいてい男はひげにちょんまげのような恰好か、ひょろっとして胡散臭い枠の眼鏡をかけた風貌、そしてニンマリと田園地帯の中で写真に収まり、「理想の地方で暮らす」みたいなキャプションが踊るのである。
それが理想で、うまく生活できているならばそれでよい。だが、大抵の一般の職業に従事している人たちは、そのような生活は簡単には実行できない。そして、特に経済面で自活の現実性を感じない。さらに、その生活者たちの様子がファッション感覚の「不便な暮らしごっこ」に見え、現実の生活というよりは飾り物の生活を演じているように見える。よって、多くの人たちはその考えを取り入れて模倣することはなく、別世界のこととして遠巻きに見ている。ここ数年の都心部批判と郊外移転論をリードしている人の主張には、そんな特徴がある。