めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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金ピカ先生の死に涙が止まらない

まだ少子化傾向が強まる以前、大学受験生の数も多かったころに代々木ゼミナールの英語講師として活躍した金ピカ先生こと佐藤忠志氏が自宅で死亡しているところを発見された。晩年は独居で生活保護を受給していたという。

1990年代半ばに予備校講師の第一線を引退して既に四半世紀ちかく経過している。予備校講師らしき活動もここ7-8年は認めなかった。これでは最新の入試事情には対応できないだろうし、著書からの印税収入も見込めない。もともと予備校講師であったことすら知らない世代も増えており、講師の肩書が先行する割にはネームバリューが生きてこない状態が続いていたわけである。それで昔のままの生活水準を保とうとしても身を持ち崩すだろう。代々木ゼミナール自体も、全盛期を率いた高宮行男氏はすでに故人であるし、校舎を大規模縮小して買収した中高生の塾事業が主体となっており駅前塾のようになってしまった。

金ピカ先生のような予備校講師が表舞台から消えたのも、代々木ゼミナールが縮小したのも、大学全入時代になったのが原因という指摘がある。私はガチ受験で競争率の高い大学・学部を受験したし、それが当たり前だから大学全入時代というワードは信じられない。全員合格できるからと言って、将来高卒に毛が生えた程度の学識しか身につかないような学校モドキに通い、奨学金地獄になった上に一生フリーター・ニート確定コースを歩もうとは思わないからだ。もちろん、首都圏の私大が国の方針で定員抑制をしていて難易度が上がっているとか、医学部入試が過熱しているという現実を目にすると、やはり大学全入時代だから予備校が衰退したという発想は間違っていると思うのだ。

しかし、現在の受験生と以前の世代の受験生の大学入試に対する熱量の違いを感じてしまう事が多々あるのも事実だ。そうすると、本当は大学受験で全入制度に飛びつく者が案外多いのかもしれない。

金ピカ先生の訃報に当時の受験生達から驚きと追悼のコメントがネットで多数出ているのだが、当時の受験生がどれだけ野心や熱意をもって受験に挑んでいたのか、そして代ゼミの講師陣が受験生の意欲を高めることに長けていたこと、当時の受験生が代ゼミでの経験のおかげで今があると何年経っても思っていることが強く伝わってくる。私の頃も、まだそんな雰囲気は残っていた。賢く小さくまとまった河合塾駿台予備校と違って、代ゼミは得体の知れないところだった。故・高宮行男氏も得体の知れない講師陣も皆勢いがあったし、その影響を受けた代ゼミ生も熱意があった。頑張ればなんでも達成できるような気になったし、実際結果はそうなった。代ゼミには得体の知れない熱意があった。

今の受験生にそれだけの熱意があるかといえば、そうは思えない。熾烈な現実から目を背けている。全入時代の弱小大学の推薦枠に飛びついて挑戦から逃げ、その結果として奨学金返済地獄やフリーター・ニート生活やブラック企業しか就労できない一生に甘んじている。社会格差の中でも、受験は問題が解ければ越えられる格差なのに、それを自ら埋めようともしない。そのくせに結果だけは求めて、社会のせいにしたり、持っている者から平等の名目で奪おうとする者が増えている。

そんな昨今の傾向からすれば、一生の間のわずかな期間に学校で履修している内容を身につけることに集中するに過ぎない受験生はバカにする存在だし、そういった勉強の大切さを教えることに長けた金ピカ先生のような予備校講師は目障りな存在なのだろう。

何もしないのに頑張った者と同等の結果を欲しがるのは不相応である。だから出来るだけの事をして好機を受け入れる準備をする。そんな考えが受け入れられる時代が終わった。金ピカ先生の死や代々木ゼミナールの衰退に、フェアな社会の終焉を感じて残念でならない。