個人でも団体でも、ダメなところは他の批判が多いように見える。
本当は自分たちに改善する点が多いのに自分達は絶対的に正しいの一点張りで、その指摘には耳をふさいで聞く耳を持たない。一方、必死で他の批判をしたり、どうでも良いことまで無理やりこじつけて貶めようとする。
ところが、肝心の批判も出来が悪い。見当外れなことを必死で批判しており、いいがかりまがいの内容のために、大抵の場合は周囲からは相手にされていない。それでも下手に周囲に賛同者がいると、勢いづいて言動が一層派手になり、賛同者と距離を置く者に二分化して言動の過激さと極端さが増す。
こうして、本当はどうでも良いようなことに殊更固執して、しかもその見当外れな内容に確信を持っているたちの悪い存在へと進化していく。
だが、その本質は脆い。他の批判をすることによって注目を他者へそらすことで、自分たちへの批判や指摘をかわし、自分の欠点と向き合い改善することから逃げている。他を批判して悦に入っている間にすべきことが本当は沢山あったはずなのだ。だが、それをせずに経過したら様々な他者との間の格差は一層開くだろう。しかも、それに気づかない。
他への批判は元手がいらない。目に入ったものをけなせばそれで済む。そして、批判対象よりも上の立場になった気になれる。だが、それは本当に相手より優位に立ったわけではない。相手には批判対象の元手とも言うべきスキルなり人望なりがある。それを忘れて本当に自分達が優位だと思いこんでいると、本当はそうではないという現実といつか直面して、ボロ負けする。