めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

ADs

2つの幸福への道

幸せをつかむ方法は2つあるように思える。一つは自分自身が幸せを実現すること。もう一つは他者の足を引っ張って自分と同じレベルに堕させることで喜びと安心感を得ることだ。どうも、昨今は後者の方式がはびこっているように見える。

前者の方式は最も堅実な方法だ。だが、実現に至る障壁は多い。何かしらの技能とか、これまでにない状況の中に踏み込んでいく勇気とか、大変な局面を乗り越える忍耐とか、それらを継続していく力とか、求められるものが多い。そして、それらを有している者は少ない。かたや、後者の方式は安直に実現できる。なにより元手がいらない。元手というのは資金に限らず、技能とか挑戦力とか継続力のようなものだ。それらが不要で、単に足を引っ張る対象のあらゆる挙動に大して否定や言いがかりをつけたり、物理的な暴力や脅しで対象が社会的に行動できない方向に追い込めばよい。

手っ取り早くできる相手への否定をしたり妨害に成功すると、あたかも自分が大きな力を持ったような気になることだろう。だが、その充足感のあとに現実が何も変わっていないことへの再認識が襲ってくる。他者の成功を見たくらいで精神的に動揺する幼稚な者は、この虚無感と屈辱に耐えられるのだろうか。

例えば、相手の妨害をすることに成功しても、相手が技能を持っていたり、それを社会的に有益に使う能力があるという事実は変えられない。だから、相手には多少の停滞はあろうが時期をおいて立ち直り、再び成功者としての道を歩み出すだろう。そして、そのときに足を引っ張っていたものは明確に敵として認定されて報復されるかもしれない。法的措置は勿論、本当は悪い点が無いのであれば社会はどちらに味方するか、その結論は自明だろう。

また、特定の相手に執着し続けるということは、永遠にその相手を超えられない相手として自認し、それより下位だから足を引っ張って上に立とうとしているといっているようなものだ。そして相手からすれば、格上であるという社会的な評価が一層定着するのに手を貸しているに過ぎない。足を引っ張っている限り、相手を盛りたてる役割に全ての時間を削られている訳である。それでも足を引っ張る側には自分達が優位だという言い分があるかもしれない。だが、大抵の主張は通らない。狭いコミュニティ内ならまだ取り繕えるかもしれないが、世間全体を丸め込むのは無理があるだろう。

自分で幸せを生み出せない者が幸せを得る権利はないし、他者の幸せを奪っても利得が自分のものになる訳ではない。昨今、それが分かっていない者が増えている。だが、彼らのけたたましい主張が世間を占拠しようとも、彼らに勝者の分は無い。