めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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「荒れる成人式」と地方の若者の一生

ここ数年の傾向だと思うが、成人式の時期になると全国で「荒れる成人式」がニュースで扱われる。成人式の会場で特注の派手な衣装や30年前の不良のような格好で集まって大騒ぎするというものだ。中には式典中に壇上に乱入して逮捕というケースもある。やたらとマスコミが取り上げる地域は決まっていて、沖縄、福岡、茨城が多く登場する。これらの土地や参加者にはいくつか特徴がある。

地域は閉鎖性の強い地方であり、地域内で居住するときには個々人の能力よりもどこの中学校出身(大学ではない)だとか、親や家業の属性でその子供も見られて一生その扱いがされる。対等という概念は無く、自分より格上格下で相手を見る。仮にどれだけ本人が努力して有名な大学からエリートコースを歩んだり仕事や社会活動で社会的に高い評価を受けたとしても、その当人が田舎の固定した階層の中で下位ならば鼻で笑われて相手にされない。地域外では絶賛されようが、その閉鎖的な田舎の中では階層が揺らぐことが脅威であると見なす者がいるので断固認めないし、そもそも物事の価値を理解できないので決して評価されないのである。

また、荒れる成人式の派手な参加者はほとんどが成人の時点で学業に就いておらず既に就労していたり、出産育児や離婚を既に経験している。世間一般では大学進学率が50%を超えたとか晩婚化とかが問題になっている。そのような世相では早いと思えるような年齢で既に就労や結婚している者は今だにいるのである。育児が同年代で大卒後に結婚する群より早く終わるかと思えば、何人も産んで最後の子供が成人になる年齢は結局同じくらいだったり、もしかしたら子供を産んだら産みっぱなしなのかもしれないが子育てのコストはかかる。収入が低いほどその負担率は大きくなる。

あいにく、国内での単純労働での安定した雇用先が減っている現状では、20歳の段階で学校に行かずに複数の子供がいる年数で就労しているような高卒やそれに満たない層が就ける職業は、正規であれ非正規であれ収入が低いところが多い。家族経営の中小企業で経営者ファミリーでないのに就職したところで一生低賃金で昇進のないままで酷使される。あるいはブラック企業どころか地域の名士も兼ねている暴力団が経営する本当のブラック企業に耐えて働き続けなければならない。低収入で閉鎖的な田舎で一生を終えるのが嫌ならば、外の地域に出ていけばよいのかもしれない。実際、高卒就職者の離職率は高いので何らかの転職はしているのかもしれないが、低学歴でさして誇るような経歴や技能もないとか、地元では虚勢を張ったり周囲がちやほやして保てている自身の立場が外の地域では通用しないことを恐れているとか、その程度の者の転職先は就職先同様に限定されるし収入も条件も悪くなる。

こうして、派手な成人式とは裏腹に荒れる成人式の地方の若者は一生を惨めに暮らしていくことが運命づけられている。悲壮感が余りなさそうなのは、地元で実家で暮らせば低収入でも固定費がかからなかったり、周囲の同様な者同士とつるむことで傷を舐めあって現実逃避可能だからだ。そうでなくても、閉鎖的な地元のコミュニティの中では選ばれた存在だからこそ暮らし続けられるわけで、傍目から見ると惨めに見えても、彼ら自体はそうは認識してすらいないかもしれない。

派手な格好の荒れた成人式を終えた地方の若者たちは、その後急激に老いていく。収入が低くて娯楽の少ない地方にある楽しみは、周囲の年配者のようにパチンコやギャンブルや酒タバコしかないし、ファッションなどといっても力仕事の邪魔のならないようにパンチパーマ程度しかない。女性も子供を何人も産んでやつれたり、移動が自動車ばかりで太っていく。就労や出産が同年代に比べて早いように、見た目の加齢も早い。精神年齢は幼いのに見た目はいかつくて年季が入っている、いわゆる地方の「DQN」といわれる階層はこうして生まれる。

荒れる成人式は、一生を地方で惨めに暮らすことが運命づけられた彼らにとっての最後の自己アピールであり、生き物として、人間の若者としての最後の輝いている瞬間なのである。多くのコメンテーターは当事者の経験は無いから、彼らの一生を考慮したうえでのコメントはしていない。批判の矛先が違う。多くのマスコミは成人式の部分だけ批判するが、その後の彼らの惨めな生き方や彼らを生み出した元凶である地方の体質には無批判である。それどころか、不良を題材にして「不良は本当はいいやつで、エリートは悪」というストーリーを流して、むしろ荒れる若者に正当化の口実すら与えている。若者に健全さを求めるならば、求める場所は既に終わったか一回しかない成人式には無い。