めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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「地方」が人を圧しつぶす罪

かつて、某地方に住んでいた時に地域住民から犯罪レベルのことをされた。だが、被害を訴えても無かったことにされて、警察も動いてくれなかった。逆に仲間を警察に売ったなどと逆恨みされて、村八分にされた。

今、私はその地方で不足している職種についている。かつてそれを目指して努力していた時に彼らは散々邪魔をして、あるいは努力しているところをあざ笑ってきたのに、どこからかそれを嗅ぎ付けて、その地方に戻って恩返ししろなどという連絡を公表しているアドレスによこしてきた。よってたかって追い出しにかかっておいて何を言っているのだろうか。私がその職種につくために努力していた時、彼らは私の取り組みを嘲笑った。またある時は地域の権力者よりも力を持つので許されないだのと騒いでいたのに、いざ利用する段になるとしれっと利用するというのだろうか。当たり前だが戻ることは無い。当時親の仕事の都合でそこに住所があっただけで、故郷でもなんでもないのだから。

この一件以来、地方は犯罪者天国なのだと思うことにした。のどかで自然豊かでいい人だらけというのは嘘だと思うことにした。実際、日本の犯罪率でみると人口に対応して当然都市部では事件が多いのだが、人口の割には地方都市で発生する残虐な事件が多いことに気付く。そこには地方に居住する人たちの住民意識が反映していたり、地方に住みたがる者がいなくなって衰退に至る原因であるとも思う。

田舎の狭い人間関係の中で自分は選ばれていると思い上がり、周囲の者もちやほやしてそれを助長する。どこの集落に住んでいるとか、どこの誰の子供だとか、それが彼らのステイタスだ。自分の力でなにかするという考えは全くない。そうしているうちに、格下認定した相手には何をしても良いと思うようになる。そして、格下の相手が少しでもプラスになるような思いをすることを許せないと思うようになり、異常な攻撃が始まる。それはちょっとした物を持っているとか、他から賞賛を受けるとか、正直どうでもいい些末なことすらも攻撃のネタになる。それを周囲や親の権力で支え容認する。一緒に加勢する。その思い上がりが度を過ぎて、攻撃が行き過ぎて犯罪になっても、地域は権力に屈して生ぬるい対応を続ける。こうして田舎の異常性が増強される。

どれだけ善良であろうと、その人物がよそ者の場合には低い扱いを受ける。そして、たえず相手を否定するチャンスや、持っている物を奪うチャンス、足を引っ張って立場を奪うチャンスを窺っている。その一方で、地元民でヒエラルキー上位の陣営に属しているならば、どれだけ凶悪でも温かく見守り悪事を見逃す。警察レベルの悪事すらも無かったことにできてしまう。それが地方だ。

田舎は自然が豊かだという。車社会のくせに空気がきれいな訳が無いのだが、裏返せばそれ位しか特徴が無く、産業も無い寒村ということ。これまで手を付ける価値が無かったから放置されてきたということに過ぎない。だから、景色が綺麗なところほど人々は貧しさの反動を抱えている。景色に反比例して土地の人の心は汚くなる。よそ者は格下、金があるなら住まわせてやる、それはありがたい恩なのだから、それを振りかざしてひざまづかせて絞り取ろう、持っていくものが無くなったら用済みだから排除、貧乏人なら最初から排除。それが田舎の住民の思考様式だ。

「誰のお陰で住めると思ってんだ」と某糞田舎の住民から罵倒されたことがある。こいつは何か私に寄与していたっけ、と考え込むこと小一時間。そもそも、何のとりえも無い土地に何万年とへばり付いてるだけの事でステイタスと思い上がれる彼らの根拠は何なのかは未だに謎だ。

私が無知だったら、そんな地方の現状を受け入れて、一生よそ者の格下扱いの枠の中で生きていこうと決意するのだろう。だが、あの時の私はそうではなかった。思いつめる必要はないし、屈する必要はないと思った。その発想の転換に寄与したのは、知るという営みだったと思う。知ることで、狭い世界の外にも世界は広がっていて、地方の自称権力者には縛れない秩序もたくさんあって、その世界の中に入れば地方の狭い料簡でケチをつけられることもなく、地方のヒエラルキーの下位ですべてを吸い取られることもなく幸せに生きていけるのだということを予見できた。そして、地方に住み続けるということ自己の存在を委縮させ続け、その負の連鎖に押しつぶされるという危機感が地方脱出を決意させた。

あの時の私のように、地方に住んでいるということで社会的にも精神的にも追いつめられている人たちは結構いるのではないかと思う。もう、出ていくことを視野に入れればよいのではないだろうか。簡単に出ていける、やめられる、狭いコミュニティーの中の制限や少ない選択肢、立場が全てだと思い詰める必要は無い。そう思い立つと、結構余裕が出てきて、地方脱出のための活力くらいは出てくる。些細な活力かもしれないが、案外に生きる希望を大きく感じるものだ。

地域を見捨てるとか、ひどい言い草をされると思う。でも、彼らは地域内で虚勢を張っているだけだ。口だけで何もできない。だから、地域を出たところで何も起こらない。狭い地域内の特異な価値観無しでも成り立って、幸せに生きられる世界がコミュニティーの枠の外にいくらでもある。だから、思い詰めるのはもう終わりにして、他の道を歩みだす覚悟を決めればよい。

地域内の狭い価値観やヒエラルキーにこだわるならば、呑まないといけない条件がある。差別をしたり、排除したり、利権にしがみつく代わりに、それで生じた結果を受け入れ、固執している物への責任を自分たち自身が果たす必要がある。地方の衰退は排他的に自分たちの利権に固執して人や資金を引き付ける魅力を作り出せなかった地域住民の責任であり、その対策をよそ者に頼ってはいけない。独占するなら相応の責任を取り、それを他人に丸投げしないことこそが権力者の努めではないだろうか。権力者は最後まで務めを果たすのが筋である。