めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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自分の考えのない人の思想

カルト宗教のように現実に即さない思想を掲げる人たちの思考様式には特徴がある。
それは、硬直化したものの見方だ。現実をまったく無視した教条主義的なものに走る。原典の内容にどれだけ自分たちの考えが即しているか、という原理主義の度合いを競うことで自己の優越性と正統性を主張する。
宗教家はこれでいいのかもしれない。宗教の教義を実践する生活をしていくと社会生活が成り立たない。だから、宗教専業にして、専門の施設で暮らさせることで宗教の専門家という立場を与えることで、社会不適合者の烙印を防いでいるのである。だから、ある意味で思想に走る人たちは社会不適合者そのものである。
哲学であれ政治思想であれ、あらゆる思想は宗教の戒律ではないから、あたかも平均台の上を歩くように、書かれている内容を踏み外さないような生き方をしなくて良いし、踏み外しても何ら問題ない。内部で殺し合いをするような危険な団体でない限り、内容に反したところで何の罰も当たらない。
また、思想に走る人たちほど、自分の思想にオリジナリティが無くなる。それは、既存のものの内容を必死で覚えこんで、その程度を競うことに終始するので、自分はどう思うのかとか、どう実践するかとか、実践からどう考えたか、とか「考える」という営みに欠かせない要素が欠落している。そして、覚えこんだ内容を披露することで、自分が思想家だと思い込んでいるのである。
宗教のように神の後に規律の道ができるのではない。様々な実践や思考ののちに生まれた考えを、言語化して後の世に残しているものが思想と呼ばれるカテゴリだろう。だから、何か考えているふりをして、「うまく言葉にできない」などと取り繕って思想家ヅラしているようなのは、言語化して体系的にまとめられていない段階で思想でもなんでもないのである。
自分の言葉で事象を表現しようともせずに、覚えたての用語を濫用しているうちは、その思想は自分のものにはなっていない。さっさと新しい神様でも見つけて、それを拝んでいなさい。