めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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左翼の社会攪乱

日本が右傾化しているという。正直、色々な現状を見ていると日本で右翼と左翼を切り分けて、左翼が右翼を批判する構図は間違っているように見える。
日本の国是は「国造り」なのだそうで、明治神宮に行くとこの言葉が強調されたような看板が出ている。要するに、日本の保守派は常に変革を起こす側だったということだろう。実際問題として明治維新しかり、法治国家への転換しかり、保守派が支持している陣営は革新的な試みを実現してきた。
一方で、左翼はというと革新というよりは旧来のものを自分たちの既得権益と見なして、それを守ることに執着している。また、時代に合わない社会の切り分けとレッテル貼りを行っていて、旧態然としている。まるで、マルクスが本を記した中世から近世のあいだ頃の社会情勢を現代にいたるまで保存して、その中で活動しようとしているように見えるように。
その辺の生活の風景を見てほしい。
劣悪な住環境のスクラップ・ビルドに対する立ち退き反対運動。交通量に合わない道路の改善に対する道路はいらない運動、サラリーマン社長が沢山いる状況で資本家が労働者を搾取しているという主張。1960年代には全国の主要な政令市の首長は革新陣営ばかりになったが、彼らが本当に革新的な手腕を発揮しているのであれば、東京都内あたりの密集した劣悪な木造家屋は健康的な住環境になっただろうし、道路も広くて交通事故も減っただろうし、高速の乗継経路も建設されて一般道が混雑したり、石原都政の頃から動き始めた大きすぎる都政主導の変革は、とっくにこのころに終了していたはずなのだ。だが、実際の革新政治の腰は重くて、むしろ現状維持のほうの味方をして劣悪な環境は放置されたのである。
また、日本の左翼は「自分たちの主張が一番マルクスの原典に沿った正しい物である」という教条主義的な正統性の競い合いに終始しており、社会の現状に合わせてアイデアを出していくという発想に乏しい。だから、社会批判の割に具体的にどうすべきかという対案が無かったり、下手に社会活動するとやたらと弱者に肩入れして自己陶酔に終始しているのである。
例えば、障害者が彼らの主張する福祉漬けになることには無批判だが、自分は障害があるが福祉とは無縁で自立していきたい、なんて意思を表明すると手のひらを返したように福祉の敵だと攻撃する。社会的弱者に対して、彼らの窮乏を理解したふりをしてやさしいそぶりで接していても、彼らが努力したり自立したりして、結果自分たちよりも上の立場になったり、あるいはそうなることを欲していたら、やはり手のひらを反して悪人のように攻撃するのである。弱者は彼らが情けをかけるペットでなければならないのである。
要するに、左翼は革新でもなんでもないのである。新しいことを始めたくないのだ。そんなことをすると手間がかかるし、自分たちが負担やリスクを負う。だから、文句を言いつつ現状維持をして、今日と同じ状態が明日も続くように仕向けたいのである。とりあえず自分たちに仕事や責任が回ってくる間は、そうやって粘っておく。後の世代にしわ寄せが行こうが知らんぷりなのである。
これらは、すでに方針を決定していて具体的に動こうとする人たちからすれば、単に彼らがしゃしゃり出て主導権を取りたいために引っ掻き回している、とも解釈できるだろう。左翼の運動は社会に不安と迷惑を与えているにすぎないのである。