めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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郊外移転の理想と現実

昭和40年代の初頭にある生命保険会社が都内の本社機能の一部を神奈川県西部に移転した。
この当時の東京は世界一の過密都市とまで言われていた。絶対数でいえばおそらく現在の人口のほうが多かったに違いないのだが、首都高速などの道路網も未整備で渋滞と交通事故が頻発、都内は地下鉄も現在より未整備で地上を一両編成の路面電車やバスが輸送している状態、首都から周辺に伸びる主要路線も輸送力増強が計画になりだした頃で、大量の人員を通勤通学させるには力不足だった。東急田園都市線は渋谷付近では路面電車だったのを思い出してほしい。
住宅も供給不足で都心部の長屋もどきの古い木造住宅に住むか、郊外に徹夜して順番待ちして購入した畑の中の家から通勤するしかなかった。都心部でマンションを建てようにも、当時のマンションはホテルの居住版のような高級なものが主体で金融公庫の対象では無かったので、一括払いあるいは巨額なローンが組めない人には購入できなかったのである。
そうでなくても公害対策が万全ではなかった時代なので、住居と近接した工場があったり、騒音臭気振動、煤煙などの被害も大きかった。また、大きな川の周辺や河口部では大雨のたびに浸水が起こって屋根に避難する羽目になった。
この当時の東京は、実際問題として住むには適さないと考える人は多かったことだろう。
都内の過密と喧噪から逃れて、自然豊かな郊外に社の機能を移転する。郊外なら土地が広くて安い。この当時数年後に控えていた東名高速が全通になれば、日本が手本とすべき欧米のようにモータリゼーション社会が本格到来して、郊外でも通勤には問題はないし、社員も職場近くで安い土地に都内よりも簡単にマイホームを持つことができる。
業務に関していえば、今後は情報化社会でコンピューター処理の時代になるので、大型機械の入りやすい広大な土地が必要、データーは都内の本社で閲覧するだけなら処理は土地代の安い郊外でやったほうがコストがかからない。急ぎの時でもファクシミリもあるし、手渡しだって都内に行こうと思えば行けなくない距離で、高速道路を使うもよし、都心への鉄道駅にも近かった。そのような事情に都合のよかったのが郊外だったのだろうと思われる。
だから、大井松田などという田園地帯に本社機能を移転するというのは現代の視点からすると「なぜあんなところに本社?」と思うかもしれないが、当時としては切実な事情と理想に基づいた移転だったのである。
この理想通りに郊外の本社移転は大成功し、他社もこれに見習って東京の過密は解消されて大井松田のような郊外の農村地帯は副都心のようになったのか、といえば現在の新松田駅前や車窓を見てのとおりである。今でも田園地帯だ。そして、件の保険会社も本社機能を都内の本社に戻してしまい、跡地は解体するかと思われたが別の会社が買い受けた。建築文化の保存という金満家の道楽のような買収らしい。
一方で都心部は再び過密傾向にある。産業地帯が機能を移転して大型マンションになったり、一時期郊外に移転していた大学なども都内に戻る傾向にある。要するに、日本人は欧米の車社会に見習って郊外移転してみたものの、失敗だったと見なして、再び都内に集まって暮らす方を選択したのである。