めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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人生の岐路、決断、リスク

もう何年も前、某所に出かけた時のこと。帰り支度をしていた時にテレビをつけっぱなしにしていた。現地の朝の情報番組をやっていたのだが、その時にいまだに印象に残るコメントを偶然耳にすることとなった。
ある野球選手が球団との年棒交渉が折り合わないか何かで、妥協するよりも一旦条件の悪い二軍に移って獲得してくれる球団を探すという内容のニュースだったと思うのだが、そのニュースの際に司会者が言った言葉だった。
「自分はこの選手と長年付き合いがあってどんな人間か知っている。彼が色々な努力を重ねていることも知っている。人間、誰しも色々なリスクの中で生きている。自分だってDJの仕事をしているが、声がもし出なくなってしまったら仕事を失ってしまう、という不安が常に頭をよぎる。だから今回の彼なりの決断を悪く言わないでほしい。見守ってあげてほしい。」
その当時、私も色々な決断と行動に踏み切らなければならないリスクを負う立場にあったし、周囲の無責任な連中が口を出してきたり邪魔をして方針が台無しにならないように必死に守っていた時期だった。だから、「人間、誰しも色々なリスクの中で生きている」という言葉は納得せざるを得なかった。
物事の結果からは勝者と敗者が生まれる。こんなことを言うと、勝ち負けがすべてではない、なんとかかんとかでオンリーワンなどという頭の弱そうなことを言い出す輩が出てくるわけだが、勝ち負けを認めることは大事だと思う。両者とも物事にかかるリスクを承知で負った結果なのであり、勝者はともかく敗者の弁にも反省材料なり何らかの耳を傾ける価値のある発言はあるだろう。
だが、何もしない連中はどうか。その場で行われた物事に参加しないで、ただ傍観者だったくせに判定者気取り、評論家気取りで万能ぶって色々と論評しまくっている多弁な連中がよくいるだろう。物事にかかるリスクを負おうとせず、常に人の影に隠れてコソコソと立ち回り、他人の顔色やら状況を窺ってコロコロと態度を変えて一貫した主張はない。そのくせに、文句や暴言をふんぞり返って吐きまくる、中身のない奴らだ。
それは、ある意味元手のかからないいい商売である。自分のところには何の責任もかかってこないから、それをいいことに言いたい放題言えるし、それによって自分をあたかも万能であるかのように演出することができる。そして、往々にして必死で努力しているものの姿は傍から見ると滑稽であり、それを陰であざ笑ったり、ネタにしてバカにすることで「万能な」自分への支持を得ることも容易であろう。だが、実際は万能でもなんでもない。ただ道化師が蚊帳の外で踊っているのと同じだ。初めから当事者でもなんでもない。だから、リスクが無いのと同様にそこから生じる功績を手にする権利もない。そのことに気付いていないで色々と当て込んでいる連中が多すぎる。
当事者や権力者の前ではダンマリでペコペコ服従しているくせに、陰では何でも社会のせい、権力のせい、自分が正しい、社会は自分の主張の通りにすべき、などと必死でふんぞり返ってぶち上げている連中。自分はその分野の専門家ではないとか、当事者ではないとか言い訳を弄しながら何もしようとはしない癖に、他人には一糸乱れず自分の主張の言いなりになることを強要し、そもそも見当はずれだったり、出来もしないような理想論や机上の空論を並べ立てて、それを主張している自分が絶対権力者にでもなったような嬉しさからか自己陶酔して、その幼稚さに気付いていない連中。立場のある者が背負う責任やリスクを負うことを拒否しながら、同時に足を引っ張って自分たちがその立場になりかわろうと欲する革命ごっこのなれの果ての連中。
本当に一杯そんな連中がいる。彼らは、実際は自分たちが当事者でもなんでもない蚊帳の外にいることにすらそもそも気付いていないのかもしれない。
時にいろいろな生き方への岐路みたいなところに来ることがあるが、その度に自分はそんな立場になれるかと考えるようにしている。そんな大層な立場に立てる身分か、そんなことばかりやって肝心の当事者としての決断とか実行とかの経験が抜け落ちた生き方をして満足できるか、とか考えている。それについての私なりの結論が上に述べたような見解である。そんな生き方が気に入らない奴らはこれからも好き勝手に言い放題やってればよい。