めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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共産党の悪あがきは昔から

ある駅前では、よく共産党が演説やビラ配りをしている。この駅周辺は若者が多い。各種専門学校、予備校、繁華街があり、人通りが絶えることがない。共産党はいつも2~3人で「赤旗」を配りながら、政府や企業に落ち度のある出来事が報じられると、すぐに鬼の首を取ったかのように得意げに体制批判の演説をする。そして、自分たちの政党や主張の正しさ、清さをアピールするのである。
しかし、実際は共産政権のもとではすべての企業が国営の独占状態で、命令一つで有無を言わさずに人々を計画的に配置できるので、労働条件や作業環境の悪さ、企業の手抜きを批判しようにも、それが絶対的な力を持ってしまっているために批判できないだけだ。この種の体制は政府の悪事が表に出ない仕組みな分だけ、なおさら悪質である。このようなことは、東欧で社会主義体制が崩壊し始めた頃からさんざん言われてきたことだ。今では毎日のように北朝鮮がその実例を示している。それでも性懲りもないのか、耳を貸さないのか、演説の方向性を変えないという思想の停滞。否、思考停止とでも言うべきか。
また、新聞赤旗をサンタの格好で通行人に配る不真面目さ。あの光景を見て思い出したのが、興味本位の視聴率獲得目当てにワイドショーが連日のように強制捜査目前の国賊サリン教団を取材した頃、「でっちあげ定食」とか「冗ゆう(言う)団子」なるものを教団直営の食堂で売り出していた一連の悪のりである。共産思想が停滞する中で(負けが確実な中で)信者獲得と宣伝にそこまで悪あがきしないといけないほど彼らは追い詰められているのだろうか。
自分たちの主張が正しい、そう確信を持って言えるのならば、そのようなふざけた格好をせずに普通にビラを配ればよい。それが出来ないのは、組織の中にも自分たちの主義主張への疑念と、そこから生じる自分たちはもう駄目だという諦念があるからだろう。
同様なことは、終戦の日が近くなると同じ場所で大々的に演説する全学連にも言える。ヘルメットにマスクの男が組織名の刺繍の入った巨大な旗の下でマイクを握り、演説をする。その周りで、同じような格好をした奴や、漫画のキャラクターのお面を被った奴等が気色悪い文言の羅列されたビラを配る。面の下は50代位の男女数名だった。彼らがそこまでして顔を見せない理由は何だろうか。

たしかに、あの場には彼らの嫌いな公安の人も潜んでいて監視をしていた可能性はあろう。だからといって、日本に思想を取り締まる法律が無い以上、暴行や破壊といった他者に危害を加えて法に触れることをしない限り取り締まりの対象になることはない。それとも自分たちは普段は一般社会に生活を抱える市民なんです、顔をさらして生活に支障を来したくありません、とでも言いたいのだろうか。
これも共産党に対するコメントと同様に、自分たちの主張が正しい、社会に対して何らやましいことは申していない、というのなら面をはずして、一般市民の一人として堂々と主義主張をアピールしろ、と言いたい。私はその数日後の8月15日に靖國神社に参拝した。そこには、場所が場所だけに軍服の人はいたが、ヘルメットやお面で顔を隠して参拝する輩は一人も見なかった。靖國神社への風当たりは強い。戦争問題で日本の肩を持つと危険視される風潮すらある。制服・私服の警官がそこら中にいる。公安の監視もあろう。それでも、市民のほか右翼、反中国の活動家といった、さまざまな思想信条を持った人達は顔を隠すことはなかった。正論とはそうやって築くもの。暴力や数で押し切れる物ではない。してみると、顔を見せない街宣右翼は人材や資金は左翼から出ているという説も頷ける。

バカみたいなお面を被って(実際馬鹿だろう、ネズミ男で政治活動なんて)、堂々と主張するのは気が引ける思想を宣伝する人達。テメーらは遊園地のナントカレンジャーショーで客席からコドモをさらってくる手下のキャラクターか。
再び話は共産党に戻る。場所柄、道行く若者達に彼らは囁きかける。若者の皆さん、学校を出ても将来は暗いですよ、なぜならば企業が搾取のために社員を酷使するからです…これを聴いた若者が「それならいっそのこと」と共産党に入信したり、暴力革命に参加を決意するとでもいうのか。非現実的だ。無策に等しい。それ以外の明晰な解決策を示せばよい。
不安を煽る、他人をゆする、それでいて無策。これでは政権を倒しても、国の舵を取れないという将来の危険性がある。それでも、かばかりかの政権転覆を期待して今日も同じようなことを繰り返す連中なのだった。(C)2006