めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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左翼の構造的怖さ

左翼活動をしている連中は日を追うごとにダメになっていく。これは傍目で見ていて実感することだ。
左翼団体、似たような傾向の偏った考えの連中が集まって互いに自画自賛しあったり、外部に敵を作って攻撃したりして癒着している、そんな閉鎖的なコミュニティの怖い面、それは社会に対する不安をいとも簡単に忘れることができることだ。
そうすると、本来不安を解消するために具体的に取り組まないといけないことに目がいかなくなり、行動もしなくなるという罠が待ち構えている。活動にどっぷりはまればはまるほど、人生取り返しのつかないことになるというわけだ。
この種の団体に属していると、大きな何か、例えば社会を牛耳るような大きな組織に所属していて、その一端を担って、社会の歯車を動かしているような錯覚を覚えるようになる。時には組織がそう成員に思い込ませるように仕向けることもある。
左翼がターゲットにしているのは社会的弱者だが、彼らに計画性とか主体性とか健全性とか、とにかくズルとか不当に楽をしないで堅実に生きて行こうという考えがあるのならば、自分の立場について考えて、派遣社員なら求職活動や職につながるような勉強をしたり、障害者なら自立するための手段は何があるか検討するとか、色々と現状打開のために動くことだろう。しかし、左翼活動はそれらの動きを封じてしまう。自分の無知や素行不良な立場を居直るとか、社会から同情を得て施しを受けることに専心させるとか、そんな方向性の活動ばかりだから。

それで、左翼的な色眼鏡で社会の出来事を見て、同じような考えの連中でウジウジと議論ごっこをする。本当は結論とかはあらかじめ決まっていて上層部から押し付けられたり、議論しても何の結論も出なくて結局何も考えていないに等しい、空虚な時間の経過である。あるいは、自分が覚えこんだことを暗唱して知識量を競う稚拙な競争だったりする。実力を行使するとしても、他人の足を引っ張ることばかりだ。彼らは自分で何も成すことができないから、他人の足を引っ張って得た利益の汁を吸うしかないのだ。

そうすると、たとえごっことはいえ、自分がさも立派な意見を持った評論家のような立場に思えてきたり、大層なことを考えることができる人物のように思えてきたり、大きな組織の意思決定に参加しているような気分になったり、自分の周りの世界が色眼鏡で見た通りのように思えてくる。
それが団体の上層部が信者の団結や帰依心を高めるための計算で行っていることは何となくわかる。それにしても、正直危険な傾向であると思う。彼らが幼稚な夢から覚めて、自分たちの現状や実像に気付くときはいつなのだろうか。標語や言葉遊びに踊らされて、結局何の現状も変わっていないということに気付くときはいつなのだろう。もしかしたらそれは、彼らの生活や人生がかなりのところまで詰んだ時点なのではないだろうか。そして、その時に自分の誤りに気付いても遅いんじゃないだろうか。