めぐろぐ

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。日常生活の雑多なことを記載していきます。

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今甦る「さばけんけい」伝説

「さばけんけい」というフレーズが昔からある。

2000年くらいに長崎県佐賀県の県境地域で母子家庭に入り込んだ愛人の男が漁港に夜釣りに行ったと称して子供を溺死させた事件で、事件を立件したのが長崎県警で居住地の佐賀県警は動かなかった事件の時によく耳にしたフレーズであるが、それ以前からあったようである。佐賀県警は事件が裁けないので「さばけんけい」と呼び、凶悪事件を佐賀県で起こせば発覚しないので有利という物騒な言い方まであった。

「さばけんけい」は佐賀県を舞台にした大事件が起こるたびに蒸し返されて、つい先日も長崎大学薬学部四年の山口鴻志なる学生が通りすがりの佐賀県鳥栖市の集落で住民女性をハンマーで襲撃した事件では、事件が長崎大の学生が大分県内の警察署に自首したことで発覚して、佐賀県警ではろくに捜査もせずに事故として処理していたうえに、その捜査過程もプライバシーの一点張りであいまいなままで逃げ切ろうとして更に批判を浴びた。前年には福岡県太宰府市の主婦の事件でも佐賀県警が捜査しなかったことから被害者が命を失う結果になったとも指摘されていて、さばけんけいは佐賀県警の愛称としていよいよ定着しようとしている。

ただ、あまり佐賀県警を悪く言うのはよくないと思う。すべては佐賀県という土地の体質に起因している。

佐賀県というところは閉鎖的村社会である。狭い村の中で同じような顔ぶれで何十年何百年とウジウジ近親相姦のように交配し合い、村落の中はほぼ血を分けた仲間ばかりという状態である。そこで事件が起こると、昔は内部でもみ消したのだが今はそれが難しいので警察が動くことになる。そうすると、狭い村の中の事件だから、犯人は誰か村の中のメンバーということになる。それはすなわち身内から犯罪者が出て、警察に捕まって収監されるということを意味する。それは同じ血を分けた村の中の連中にとっても恥になることなので、地域内の仲間意識で必死で事件を隠蔽するし、警察の捜査に対しても初めから非協力的になる。

だから、警察が裁けないのは必ずしも警察の体制だけが悪いわけではないのである。

そして、警察が積極的に操作しない理由はもう一つある。それは、佐賀県警である以上は構成員は佐賀県内に居住しなければならないという絶対的制約があることである。警察署に通勤できる範囲内に警察官も家族も居住する必要がある。そこがたとえ、閉鎖的で身内びいきの激しい地域だろうとである。要するに、周囲を敵に囲まれた状態で業務にあたらなければならないのである。

そのような状態だとどうなるかといえば、捜査することで地域内から犯罪者を出すとまずいと考える住民から陰湿な村八分や危害を加えられるリスクがあるため、積極的な捜査や追及を手控えるようになる。かくして、佐賀県は表向きは刑法犯として認知される犯罪件数は少なく、見た目はのどかな農村地帯に見えるのだが、それは捜査しないから犯罪件数が少ないだけであり、実際はとんでもない連中がその風景の中で乳酸菌のように潜伏しているし、犯罪を犯しても司法に裁かれることがないので安心して傍若無人にふるまうのである。

もう一つは、佐賀県の財政基盤にある。佐賀県には税収となる産業が皆無であり、県内の教育も壊滅的な質だが地元採用枠で無能な者ばかり採用しなければならないので、県の財政基盤がもろい状態だがそれを改善する政策を打ち出すことができない。そんな少ない予算で運営しなければならない佐賀県警もしわ寄せを受ける。結果として、人員配置は国から指摘されるので仕方なく最小限配置しているのだが、捜査をすればするほど経費がかかるので地域住民に配慮しつつ訴えがあっても握りつぶして動かないことが恒常化している。歴代の佐賀県警のトップは業績をおさめることではなく、波風立つようなことが起こらないで任期が終わることを願っているのである。

要するに、佐賀県という地域が法治国家に含まれることが悲劇の元なのであって、むやみに「さばけんけい」などと言って揶揄してはいけないのである。悪いのは県警がそうなってしまった原因の地域の体質なのである。佐賀県は教育の質の悪さを責任転嫁するために県立高校でタブレットを導入したがろくに使いこなせていない。それと同じように地域住民の遵法精神の無さを責任転嫁するために日本国の警察体制に基づいて作られた佐賀県警を揶揄しているのである。